「食の多様性の誇りと現実(9)」(2020年11月26日) 島内の各所ではどこも似たような式次第が行われているにもかかわらず、呼び名が違って いるのが不思議だ。マラカ県やベル県ではhamis batar、マナマス一帯ではlasisine tafeu、 クパン県アンフォアンからモロにかけてはhainiki pensufa、ニキニキやボティではpoepah といった名称になっている。しかし多少異なる色合いも見られ、ある地方では男女総出の 練り歩きになっているのに、別の地方では男だけが練り歩くというような違いもある。 中にはこの慣習に従わない家もあって、そんな家は稔ればどんどん収穫して食糧を確保す るのだが、慣習に従う家は稔った畑を横目で見ながら祭礼が行われるまで空腹の日々を費 やすことになる。収穫の時期になると、村々の長老には早く祭礼をやってくれという依頼 がひっきりなしにやってくるという話だ。 ティモールの郷土文化研究者はこの祭礼について、ティモール人がトウモロコシのことを usi nahatと呼ぶように、それは高貴なる食べ物と考えられている、と説明する。貴人の 食べ物であれば守り神がついているのが当たり前で、植え付けや収穫のときに守り神との 交信が昔から行われて来た。稔ったトウモロコシを人間が収穫するのに、まず守り神に感 謝を捧げるのは当然のことだそうだ。 [ホトン] インドネシアを代表する作家プラムディア・アナンタ・トゥルが流刑された島として一躍 有名になったマルク州ブル島Pulau Buruではホトンhotongが一般的な食材になっていた。 このホトンはジャワ島で言うジャワウッと同じもので、日本語では粟と言う。 ブル島先住民のブポロBupolo族は古い昔からトウモロコシ・芋・陸稲などと一緒に、炭水 化物摂取源のひとつとしてホトンを重視していた。ブル島でホトンはフェテンfetenある いはブルホトンburu hotongとも呼ばれる。インドネシアで唯一、ホトンを食べる習慣を 最近まで維持していたひとびとがブポロ族だった。 この地では王への貢納品の中にさまざまな農産物と一緒に必ずホトンが添えられていたし、 ホトンをうら若い乙女にたとえる表現がその文化の中に存在している。稔ったホトンの房 は柔和でなめらかなものであり、先端は乙女の唇のように赤くなることからそのたとえが 生じたという話だ。ホトンはそれほどブポロの民の暮らしに密着していたのである。 ホトンはアジアの熱帯から亜熱帯にかけて、雨量のそれほど多くない地域で広範に生育す る食用植物であり、ススキの穂のようなホトンの房は30センチほどあって、その粒には 炭水化物が81.3%、たんぱく質が14.1%含まれている。コメが含んでいる炭水化 物は70〜80%、たんぱく質はせいぜい5%程度だから、コメに勝るとも劣らない食材 と言う事ができよう。 ホトンを調理すると濃い粥状になり、コメの飯ほど噛んで食べる必要があまりない。その 黄色がかった粥状のホトンは、少量でしっかり腹を満たしてくれるのである。その夜、ブ ル県の首府ナムレアNamleaで、エフィ・タンさんがホトンの粥を作ってくれた。ひとびと はそれをホトン飯nasi hotongと呼んでいるが、コメは入っていない。 四分の一キロほどのホトンで作ったホトン飯なのに、空腹を抱えた四人の男たちの腹を満 たす量としては十分すぎるほどだった。「しゃもじ一杯分を取っただけなのに、コメの飯 ならしゃもじ四杯分を食べた感じだ。」29歳のひとりはそう印象を語った。コメだと1 キロ分で炊いた量に相当します、とエフィさんは言う。 エフィさんは乾燥ホトン粒を同じように使ってワジッwajikと呼ばれる餅菓子を作ってく れた。エフィさんはホトン飯やホトンワジッの作り方を親から教わったそうだ。また最近 ではボゴール農大の研究者がやってきて、地元の奥さん方にホトンを使った他の食品の作 り方の講座を行っている。[ 続く ]