「イギリス人ウォレス(29)」(2021年05月21日) このような高所で下界と異なる動植物相を見ることができるかもしれないと考えていたウ ォレスはたいへん失望した。気温が低くて高地であるという地勢的特徴が暑い低地とは異 なる生物相を見せてくれるのではないかというかれの期待は、当てが外れたのである。鳥 や四つ足動物は単に低地より数が少ないというだけで、特別変わった種は見出せなかった。 植物でさえよく似たありさまで、低地では見ることができないというものなどまるで見当 たらなかった。コメですら、この華氏80度を超えない土地で豊かに実っているのだから。 それでも昆虫だけは低地より多少とも異なるものを見つけることができた。 ウォレスはミナハサの山岳地帯が急斜面でさえ肥沃な土壌の土に覆われていることに着目 した。ミナハサの山岳部にそのような現象を生んでいる原因がそこにあるのではないかと いう見解だ。ヨーロッパや他の地方にある、岩が露出して土の乏しい山岳地帯で見られる 現象は、それがゆえにミナハサに当てはまらないのではないかとかれは考えた。 数日後、ウォレスはルルカンを後にしてトンダノ湖に下った。そこには人口7千人のトン ダノ村があり、ベンスナイダー監視官が住んでいる。夜は監視官の家に泊まり、翌朝9時 にトンダノ湖をボートで縦断する旅に出た。10マイルほど離れた対岸のカカスKakas村 に向かう。 カカス村の首長の家で昼食を摂ってから、4マイルほど南のラ~ゴワンLangowan村に案内 された。そこが生物採集のためには適地だろうとみんなが推薦したのだ。ウォレスは村の 来訪者用ゲストハウスを宿舎に与えられた。ふたりの地元民が鳥撃ち役と森林案内役の仕 事を与えられた。 翌朝、森を目指したウォレスは、森に到達するためにコーヒー農園の中を4マイルも歩か なければならないこと知った。これでは採集と観察活動に使える時間がかなり狭められる ため、時間がもったいない。かれはもっと森に近い場所に移ることを希望した。 ベンスナイダー監視官と隣の地区の監視官がウォレスの希望に合う場所として、ラ~ゴワ ンから更に6マイル南に下ったパンフPanghu村を推薦した。ウォレスは火山の温泉を見に 行ったあと、その翌日にパンフ村に移った。パンフ村の旅人用の宿がウォレスの宿舎にな った。その建物は旅人が休憩したり夜を明かすために建てられたもので、ベランダと部屋 がひとつずつの小さいものである。だが確かにその建物からは森が近いために立地条件は 悪くない。ウォレスの期待は高まった。 ところが、鳥撃ちの助手が、ひとりはトンダノで熱と下痢に倒れて同行できなくなり、も うひとりもラ~ゴワンで胸部に炎症が起ったために置いて来ざるを得なくなった。パンフ 村の地元民を最初は当てにしたのだが、この年は雨季が早まったために稲の獲り入れで村 人たちは大忙しの態であり、ウォレスに付き合える者などひとりもいない。しかし地元の 子供二人が吹き矢の名手で、粘土の弾丸を使って小鳥を獲り、頻繁にウォレスのところに 持って来た。珍しい鳥も中にはあったものの、鳥のコレクションは停滞気味だった。 反対にウォレス自身が集める昆虫は大いに成果が上がった。量的にも質的にも満足できる ものだったようだ。もちろん、いくつかの新種も手に入っている。 雨季に入って活動があまりできなくなり、しかも鳥撃ちの助手もいない状態でパンフ村に 長居をしても仕方ないため、ウォレスはマナドに戻った。マナドでは、2週間使ってコレ クションを乾燥させて送り出し、助手を新たに雇って再出発の準備を整えた。今度はマナ ドから東方にあるクラバッKlabat火山の麓のルンピアスLempias村を目指すのである。 荷物担ぎ人は自分の村から隣村まで運ぶだけ。隣村に着いたらその村の者にバトンタッチ する。おかげで、荷物の引き継ぎのたびに出発が遅れ、18マイルの距離なのに一日がか りになってしまった。最終的に荷物が全部届いたのは真夜中だった。 ウォレスはルンピアスでバビルサとアノアの頭蓋骨を手に入れた。またマレオも手に入れ た。この地域へやってきたのは、それが目的のひとつだったのである。10日ほど採集活 動を続けてから、ウォレスは北スラウェシ半島部の先端リクパンLikupangへ移動した。そ こはバビルサやアノアの宝庫だ。[ 続く ]