「黄家の人々(11)」(2022年06月10日)

ウイ・セは美しい娘を自分のものにできたことで有頂天になり、ヒアンニオも牢獄のよう
な世界で身を売る商売を毎日強いられる立場から解放されたことをたいへん喜んだ。いく
ら美しさで男たちの人気を集めても、娼妓の汚名が生涯付いて回るのはつらく恥ずかしい
ことであるのを、ヒアンニオは十分に理解していた。

ヒアンニオはマカオの良家の娘だったが、騙されてかどわかされ、あの娼館のバタウにシ
ンガポールまで連れて来られたのである。マカオの娘たちにはそのような災難がよく降り
かかった。その帰結は一生涯にわたる汚辱の中での暮らしと、悪い女という不名誉の烙印
を押されることだった。


ウイ・セが自分の店に戻ると、雇い人たちは店主が若い娘を連れて帰って来たのに驚いた
が、何も言うことができずに互いに顔を見合わすばかり。ウイ・セはヒアンニオを連れて
奥に入った。ヒアンニオの行李三つも奥に届けられた。それから三日後、ウイ・セはヒア
ンニオを連れてプカロガンへ向かう船に乗った。

プカロガンの自宅に戻ると、夫の挙動のために今度は妻が憂鬱病にかかってしまった。当
時の華人文化では、夫が妻を何人持とうが、それは夫の甲斐性なのである。夫の甲斐性を
妻がとやかく規制できる文化ではないのだ。

ウイ・セは二人目の妻の世間へのお披露目を、既に話が進んでいた長女のキムニオの婚約
発表と一緒に行うことにした。それからあまり日数を置かないある夜、ウイ・セ宅は煌々
たる灯りに包まれ、華人オランダ人プリブミの大勢の貴顕淑女が集まる中で盛大なパーテ
ィが催された。ウイ・セの第二妻ヒアンニオが紹介されて、家族がひとり増えたことが祝
われ、次いで長女のウイ・キムニオがプカロガンの華人上流層の一家であるチョア家の息
子チョア・ベンセッと婚約したことが祝われた。そのとき、キムニオは15歳、ベンセッ
は17歳だった。


キムニオはヒアンニオに劣らないくらいの美形だった。母親が自分の娘の美しさに陶酔し、
父親は目の中に入れるほどの自慢の種にし、年頃になって深窓入りさせたにも関わらず、
キムニオに激しい恋慕の情を持つ男さえいた。恋慕と情欲に狂ったのはプリブミ社会で有
力な地位を持つ男であったが、当時の華人社会が持つ文化のためにそれは実現不可能な恋
だった。この時点でその男の心を知る者はだれもいない。

そのころの華人社会では一家一族が個人の存在基盤であって、構成員個人の望むものごと
が一家一族の社会的評価やメリットと対立すれば、それは実現不可能なものになった。構
成員の結婚は個人の問題でなく一家一族の問題であり、結婚した当人を媒体として異なる
一家一族が親戚関係に入ることを意味していたのだから、当人の心の問題よりも一家一族
にとってのメリット・デメリットが優先された。

だからお互いに伴侶の性格を十分知らないまま結婚するものの、当人は一家一族を代表し
て相手方の家庭に婿あるいは嫁として参入する形になり、伴侶にとっての自分という環境
の外側に相手の一家一族にとっての自分という役割が出現して、自分が持つ最高の姿を相
手一族に示すことで自分の出身一族の名前と誇りを守るのが個人個人の当然の努めという
常識が形成されていた。

必然的に、夫婦の愛情は結婚してから育まれるものという考え方になり、恋愛関係が熟し
た挙句のゴールインが結婚であるという考え方に変わるためには、社会構造に変革が起こ
る必要があった。[ 続く ]