「マリン(後)」(2022年09月30日)

路上で、あるいは場所がどこであれ、財布やら金目の品物が落ち散らばっているのを目に
したら、気を付けなければならない。それを無視して知らぬ顔の半兵衛を決め込むと、あ
なたはマリンにされるかもしれないのだ。その名もmaling samun。要するに、他人が自分
の所有物を気付かないまま公共の場所に置き去りにしたなら、それを届け出る義務が発見
者に課されているのだ。

だからそのようなものを目にしたなら、当局あるいは管理者に届け出なければならない。
それを怠るとマリンサムンにされてしまう。ジャワ人でいるのも厄介なことだ。


昔ジャワの田舎にまだ街灯がなかったころ、夜中にちょっと離れた場所へ行く人間は必ず
たいまつを掲げて歩いた。もしもそうしなければ、その人間はmaling lamatと呼ばれた。
夜中の暗がりの中を明かりなしにうろつく人間がまっとうな人間であるとは思えない。そ
いつは何らかの狙いを持っていて当然だろう。

現代のマリンラマッはたいまつで見分けるものでなくなった。だが夜の屋外では、暗がり
へ行きたがるそぶりを見せないほうがよい。マリンラマッという烙印を捺されたなら底意
を見透かされてしまうだろうから、くれぐれも用心したまえ。

ジャワ語のマリンの定義から見ると、他人をマリンだと非難する人間がマリンと呼ばれる
のは少々奇妙なことだ。それをmaling ngumpet wedi silitと言う。この人間は他人をマ
リンだと言うくせに、法的な場で証言を求められると避ける。かれらは誰それがマリンだ
と言いふらすがそれは言葉だけであり、法的プロセスに関与することがない。


マリンの定義に当てはめるのが難しいマリンはまだまだいる。マリン道を究めた熟達者で
その道の大家であり、マリンたちの大師範だ。その人物が大泥棒だった(にちがいない)
ことは誰にでも分かるが、どこでどんな泥棒稼ぎをしたのかについてはだれひとりとして
立証することができない。ジャワ人はこのような人物をmaling sandi, maling totosある
いはmaling gunaと呼ぶ。

夜半に家屋に忍び込んで眠っているその家の女主人を強姦するマリンはmaling rarasとい
う名称だ。他の男の妻を盗んで不倫する男はmaling dendengである。それらの名称は常に
男を指して使われ、類似の行為をする女、他人の夫を盗む女に供されるマリン名称はない。
ジャワの男は実にたいへんな負担を背負っていることになる。


盗みがネガティブな価値を持っており、人間にそれが嫌われるのはユニバーサルな真理で
ある。自分に所有権のない物品を持ってはならないのだ。

われわれは更に、このようなことを問いたい。あなたがある店の店長になったとしよう。
その店はあなたのものになったのか?この県はあなたのものなのか?この国はあなたのも
のなのか、と。

この国は、州は、県は、村は、自分のものになったから、これから思いのままに扱えるぞ、
と考える高位高官や首長たちが少なくない。支配権力の頂点の座に着いたこのわしをマリ
ン呼ばわりするとはなにごとか?そんなことは礼節ある共同体社会の暮らしにあってなら
ないものである。

その一方で、人間としての道理をわきまえている小市民もたくさんいる。この物品は、こ
の資産は、この金は、国家・省あるいは役所のものだ。そのまま放っておけば誰かにくす
ねられるに決まっているのだから、その前にオレがかっさらうんだ。・・・・
あれっ?


あなたの所有権に関する観念がそのようなものであるのなら、あなたの指がどんなに曲が
っていたところで、malingという言葉はあなたに適用されてふさわしいものにならないの
である。[ 完 ]