「グラメラ(14)」(2022年12月09日) 現代ヒンディ語ではsharaabと呼ぶそうだ。この言葉はペルシャ語やアラブ語のサラブに 由来しているという説明になっている。ひょっとしたら、インド人がヌサンタラに伝えた ニラから作る蒸留酒は、インド人自身がアラッと呼んでいたのかもしれない。ヨーロッパ 人のヌサンタラへの来航が始まったころ、ポルトガル船や後の他の船の船員たちがヌサン タラの蒸留酒の美味さをみんな楽しみにしてやってきていたという話もある。 インドが発祥と思われる、ヤシ類のニラを砂糖と飲用アルコールにする知識と技術は、ヌ サンタラの各地にあまねく広まったようだ。そして今、世界に冠たるイスラム人口を擁す るこの国もイスラム渡来前には、酒なくしては夜も日も開けぬ土地になっていた。 酔いが人間から正気を奪い、秩序と礼節のある社会生活を損ない、篤実な勤労によって高 めなければならない社会生産を劣化させるという欠点を看破してウンマーから排斥してし まったイスラムの道理はひとつの真理だろう。だが峻厳さの鞭ばかりを神の名において人 間に振るっても、自分が何のために鞭うたれているのか終生理解できない人間の方が多か ったのではないだろうか?それは千数百年経過した後の現在でも、何も変わっていないよ うに見える。 まあ言ってみればこの部分は、社会統御をあまりにも正直にやりすぎたために弊害を生み、 隠れて酔っぱらうことの大好きな一部ムスリムを背信的に生み出す結果になって、人間を 悪徳の泥沼に落として悪魔的な快楽を享受させるという逆効果を作り出す原因になったこ とは否めないだろうという気がする。人間は何を求めて酔おうとするのだろうか? いくら酔っても乱れないという人間の完成度の証明に使うひとびともいるようだが、他人 を酔わせて乱れさせ、それと対比させて自己との優劣を確認する手段に使ってその二重構 造に酔うという精神性の豊饒な村々では、共同体社会の健全性という面から見るかぎり、 まるでウンマー原理の正反対を行っているようで、人間という存在の両端を見るような思 いがしないでもない。 東南スラウェシ州半島部最南端にあるブトン、ムナ、カバエナの島々はブトンにできた王 国の支配下に落ちた。ブトン王国の成立は西暦1332年で、この地方に移住してきた勢 力の強い集団が協議して領土の統治支配構造を構築した。まずヌサンタラを広範囲に支配 したスリウィジャヤ王国のグループ、中国からやってきた先進文明を持つ華人集団、そし てスリウィジャヤに代わってヌサンタラの覇権を手にしたマジャパヒッの集団だ。この三 集団の到来は長い期間をかけて順番に起こったようだ。ともかく1332年にはブトン社 会を統率する三つの社会勢力になっていたにちがいあるまい。 かれらは貴族制支配構造を作り、貴族階層をふたつに分け、王には統治のシンボルとして 上級貴族階層の者が選出された。王の選出には全貴族層が参加した。初代と二代目の王は 女王だったそうだ。 この王国で二百年後の1564年、あるいは1541年、または1537年に、王宮内で イスラム化が起こった。アチェ人・ムラユ人・ジョホール人のいずれかの宗教師がブトン にやってきて王宮で宣教し、王を含む何人かをイスラムに入信させた。そこに挙がってい る三人の宗教師の誰が何年にやってきたのかは明らかになっており、王がその三人のうち の誰によってムスリムになったのかが論争の焦点になっている。 隣の半島部、南スラウェシ州南部のボネ王国では西暦1605年にミナンカバウの宗教師 によって王宮がイスラム化した。それに比べたら、ブトンのイスラム化は半世紀も先行し ている。 だが、王がムスリムになったとき、常に領民が入信を強制されたのかどうかについては、 各地でそれぞれ独自のスタイルが取られたように思われる。全領民のイスラム化が王やス ルタンの一声ですべて動くなら、何の苦労もいるまい。それは長い歴史の中でそういう資 質を自ら築き上げた特殊な人間集団に起こることだ。そういう文化行動を執る人間集団と いうのは地球規模で見る限り相当に珍しいものであることを忘れてはなるまい。 社会ヒエラルキーの上は上で上流層に自主的な動きが起こったことは間違いないだろうが、 下層領民のイスラム化は下層民衆の間を説いて回るジャワのワリソ~ゴのような存在が必 要とされたような印象がわたしには強い。社会や国家のイスラム化という言葉で鶴の一声 が社会を変えたようなイメージを持つのは、本当に的を射ているだろうか?[ 続く ]