「世界を揺さぶったスパイス(12)」(2024年05月03日)

インドネシアでトップのコショウ生産地バンカブリトゥン州はバンカホワイトペッパーの
名前でも知られている。白コショウの産地としては昔からナンバーワンの生産量を誇って
来た。積み出し港であるMuntokの名前を付けたムントッホワイトペッパーという呼び名も
同じものを指している。

ヌサンタラが世界最大のコショウ供給地だった時代に、バンカの白コショウとランプンの
黒コショウは国際的な知名度の双璧をなしていた。ムントッ白コショウは色の白さと完璧
さ、独特のアロマと味覚が好まれて、スーパークオリティという高い評価を世界の市場か
らいまだに得ている。

バンカ産コショウは気候のおかげで高品質を与えられてきた。バンカブリトゥンでは1月
に短い乾季が起こり、そのときに花ができる。そして4〜6月の長い乾季に結実するのだ。
おかげでピペリン含有率が5.4%という、ヌサンタラの最高値を獲得しているのである。
ピペリン値が高いほど辛味が強い。


バンカ地方へのコショウの到来は紀元前6〜1世紀ごろにインドの西ガーツから移住者が
もたらしたと見られている。バンカの住民がコショウの栽培を開始したのは西暦16世紀
ごろからで、18世紀にオランダ人の主導によって大規模農園による生産が広まった。バ
ンカは17世紀以来パレンバンのスルタンに服属しており、VOCがパレンバンを服属さ
せてレップを置いた結果そんな形に進展した。

世界のコショウ需要のうちで白コショウは2割のシェアを占め、8割が黒コショウになっ
ている。その白コショウ需要の8割がバンカ島のムントッ港から供給されているのである。
その元をVOCが築いたのだ。白コショウビジネスにおけるバンカの地位は3百年もの間
不動のまま続いている。

昔からバンカの経済にとって白コショウは重要な役割を果たして来たが、白コショウへの
依存度がむしろ深まる一方になってきた。白コショウはほとんどが輸出される。国際相場
の波が産地の経済に影響をもたらすのは当然のことだ。もしも産地が白コショウ一本やり
になってしまったなら、国際相場がクシャミすれば産地は風邪をひくことになるだろう。

1880年〜1930年の間、バンカブリトゥンでの錫採鉱プロジェクトを開始した東イ
ンド政庁はその労働力としてペナンで華人を募集し、移住させた。ところが作業が機械化
されるようになって住み着いた華人は仕事にあぶれてしまう。その結果華人はコショウ農
民に転身した。それがコショウ生産をいっそう高めることになった。

とはいえ、13〜14世紀ごろからコショウはパレンバンやジャンビにとって重要な国際
商品作物になっていた。中国船がコショウを求めてそれらの港にやってきた。パレンバン
やジャンビの統治者がコショウの供給を増やすためにバンカブリトゥンにコショウ栽培を
勧めたのは言うまでもあるまい。そしてVOCは1642年にパレンバンを押さえてコシ
ョウの独占取引権を獲得したのである。


中部バンカ県コバの町から南バンカ県トボアリの町へと街道を下れば、道路の左右を何千
ヘクタールにもわたってコショウ畑が埋め尽くしている姿を目にすることができる。そこ
が3百年もの間、バンカのコショウ生産センターになっていたのだ。

その地方でコショウは整然と間隔を開けた支柱樹に幹と枝を縛り付けられて生育している。
長円形をした緑の葉は折り重なって支柱樹を覆っている。枝のあちこちに緑色をした実が
びっしりと塊を形成しており、それらは静かに収穫の時を待っているのだ。

農民はその数百年の間、昔ながらのコショウ生産方法を相伝して来た。新しいテクノロジ
ーが持ち込まれることはほとんどなく、昔のままの手入れ方法で木を世話し、収穫を行な
っている。ところが地味が衰えていくのを避けることはできない。コショウの木は生産性
が低下し、投下したコストを担う生産量が細まれば得られる利益は削り取られて行く。イ
ンドネシアのコショウ生産は全国各地でそんな方向に追いやられているようだ。[ 続く ]