「世界を揺さぶったスパイス(14)」(2024年05月07日)

パレンバンダルッサラム王国も商港パレンバンを経済活動センターにした。主な商品は内
陸部奥地からムシ河を通って運ばれてくる農産物とスパイス類だった。南スマトラ州を貫
通している巨大なムシ河にはたくさんの支流分流が流れ込んでくる。その主要な9本の支
流が昔からBatanghari Sembilanと呼ばれていた。バタンハリ河というのはジャンビ州を
東西に貫通して流れている大河であり、ムシ河とは別のものだ。なぜムシ河の支流の集合
名称にバタンハリという名称が付けられたのかよくわからない。明らかなのは、イ_ア語
で木の幹を意味するバタンという語がスマトラ島中部地方では河を意味して使われていた
ことだ。だから本来的にはバタンハリでハリ河の意味になり、バタンムシでムシ河を意味
するはずなのだが、河や川は大小を問わずSungaiを使うことが標準化したためバタンは固
有名詞の一部にされるという機能の変化が起こったように見える。今やハリ河はス~ガイ
バタンハリと呼ばれているのだ。

ムシ河流域というのはバタンハリ河も同様に、何千年も前から交通路として使われてきた。
スマトラ島の大河流域というのは道路があまりなく、河が街道の役割を果たすのが普通だ
った。だから街道がなくても「隔絶した陸の孤島」などというものの無縁な世界だったの
である。

バタンハリスンビランに関するオランダ人の報告書がパレンバンダルッサラム王国時代に
作られた。バタンハリスンビランを通って種々の農産物が次のように運送されている。
ルマタン川: コショウ・米・綿
オガン川: 米・コショウ・籐
コムリン川: コショウ・米
バニュアシン川: コショウ・米
等々。


パレンバンダルッサラム王国はムシ河上流奥地からバンカ・ブリトゥンまでを支配して、
それらの地で生産される農産物を集めてスカナッ市場など数カ所の市で売った。JI van 
Sevenhovenの覚書にはパレンバン市中の市で販売されているスパイス類が記されている。
長コショウ 10個 0.06フルデン
普通のコショウ 1.5ガンタン 0.06フルデン
ターメリック 1ガンタン 0.075フルデン
クミン 1カティ 0.10フルデン
若ショウガ 1束 0.05フルデン
シリの葉 50枚 0.025フルデン
ピナン 10個 0.025フルデン
(ガンタン:3.125キログラム、カティ:6・1/4オンス)

VOC時代にパレンバンのスルタン国はオランダと農産物の取引を行っていたと思われる
が、VOCがどのような横暴を王宮に加えていたのかはよくわからない。1811年にス
ルタン マッムッ・バダルディン2世がオランダ側の軍事ポストを武力攻撃したのだから、
腹に据えかねる状況になっていたにちがいあるまい。

オランダ側が追い払われたあと、ラフルズがスルタンに友好関係を求めたものの、スルタ
ンが拒否したからイギリス東インド軍がパレンバンを攻撃し、バダルディン2世は逃亡し
た。イギリス側は弟のナジャムディンを王位に就けた。ところが1813年にバダルディ
ンが王宮に復帰してスルタンに戻ったから、一月後にラフルズがやってきて再びナジャム
ディンをスルタンにした。

イギリスがオランダ海外領土をオランダ王国に返還してヌサンタラから去ると、オランダ
は1811年の復讐戦をパレンバンに挑み、1818年にナジャムディンをバタヴィアに
流刑した。するとバダルディンが復帰して1819年にオランダと戦争状態に入った。

オランダ東インド政庁は1821年に4千人の軍勢を投入して一気に決着をつけ、バダル
ディンはテルナーテに流刑された。しかしパレンバンのスルタン王宮はいつまでもオラン
ダ側を敵視したのだろう。オランダに服従しようとせず、また武力闘争に至ったため、最
終的にオランダ側は1823年にパレンバン王宮を閉鎖し、オランダ人レシデンを置いて
直接統治する体制に変えた。パレンバンダルッサラムスルタン国はそのとき1世紀半の生
涯を閉じたのである。[ 続く ]