「人間と支配欲(4)」(2024年08月13日)

そして自分の想像の中で相手の真意をこれではないかと解釈し、当たっているかどうか判
らない想像をベースにして相手を攻撃するようになる。ふたりの間には不信に満ちた推測
による攻撃が交換されて夫婦間の人間関係が破壊されて行くことになる。

相手が自分のことを大事に思っておらず、他の人間との関係を優先するために自分に割い
てくれる時間がミニマムになっている。現実をそのようにネガティブに解釈するなら、解
釈する者にとっての現実はそんなネガティブなものになる。それが常態になってしまえば、
たとえ時によって相手が反省してポジティブに自分に構おうとしてくれても、普段の姿勢
をごまかそうとしているという不信感が脳の片隅に浮かびあがってくる。

サウィトリ先生はLとDの夫婦関係について、このまま放っておけば離婚に至るしかない
と見た。夫婦間でどう努力しようが状況の改善は困難であり、専門的な第三者が介入する
ことでふたりがポジティブな関係に導かれて行く可能性を頼るしかない。結婚カウンセラ
ーに相談するように、というのが先生の忠告だった。


結婚関係という、社会制度が築いた人間関係だから特別な支配被支配関係が生じるのだ、
という見方をわたしはしない。人間が他人への支配欲というものを本源的に持っているの
なら、社会制度という強制力にあまり統御されていない、社会スタイルとしての男女間の
恋愛関係の中にすら支配欲は出現して当然だろう。だから、男女の間に愛情による人間関
係が生じてカップルができたとき、そこにも支配被支配関係が生じるのは当然の帰結のよ
うにわたしには思われる。

伝統的な社会の価値観に従って男が女をリードする形になるのが一般的だろうが、そんな
価値観が崩壊した社会ではまた異なる様相が展開されているはずだ。いやそれどころか、
世間に見せる姿は伝統的な男優女劣スタイルにしていながら、一歩ふたりだけの世界に入
ってしまうと女が男を完璧に抑え込んでいるカップルだって昔からあふれるほど存在して
いたのは、夫婦であろうが恋人同士であろうが違いはない。


ところが、愛情関係にそのような力関係などあってはならないという理想を抱え込んで生
きている人間もいる。かれらは現実に存在している複合的な人間同士の関係を否定するの
である。「まさか崇高で神聖な愛の中に相手を支配しようとする気持ちが混じりこむなん
て。そんな愛は不純な愛だ。ニセモノの愛だ。愛は互いに捧げ合い与え合うものなのだか
ら。その本質の分からない愚か者が愛と支配をごちゃ混ぜにしているのだ・・・」

そんなお伽噺的理想論を語るひとびともインドネシアにおり、そしてきっと日本にもいる
だろう。しかし人間と人間の間に生じた人間関係は支配被支配関係を生み、さらにその支
配被支配関係の中に相手への愛が生じることもひんぱんに起こる。その反対に、愛情で結
ばれた人間関係の中に相手への支配の欲求が生じてくるケースだっていっぱいあるのだ、
と心理学者のクリスティ・プルワンダリ女史は書いている。[ 続く ]