「大郵便道路(123)」(2025年06月05日) パスルアン県東部のグラティ郡西クダウン村には、オランダ時代に作られた大きいサトウ キビ農園と製糖工場がある。そのクダウン製糖工場と大郵便道路は支道を介してつながっ ており、支道への分岐点がある地区一帯は道路破損が激しいのですぐにわかる。その分岐 点の支道側に出ている行先表示板にはもちろんクダウンの名前など書かれておらず、そこ にはBanyu Biruという地名が記載されていた。行楽地バニュビルへ行く道路がその支道な のである。 バニュビルはブロモ火山の北側山麓にあり、水浴場やヒンドゥの祭祀施設が設けられてい たようだ。現代のバニュビルはモダン化されて、現代人にとっての高原行楽と水遊びの場 所になっている。バニュビルとブロモ火口間の距離は直線で20キロほどあるが、地図で 見ると山道はくねくねと東西方向に大きく伸びていて、火口に達するまでにその何倍の距 離を踏破しなければならないのか、まるで見当もつかない。 バニュビルは泉が作った巨大な池のようで、Telaga Wilisという別名を持っている。サン スクリット語のトゥラガは山の湖あるいは池、ウィリスは緑色を意味している。広さはデ ータが公開されていないためによくわからない。深さは2.5メートルくらいとイ_ア語 AIは述べているものの、シュノーケリングをしている動画をユーチューブで見るともっと 深いところもあるように思われる。 このバニュビル水浴レクレーション施設はオランダ時代に使われはじめたようだが、そこ に置かれているさまざまなヒンドゥ時代の遺物を見るなら、そこはシゴサリあるいはモジ ョパヒッの時代から同じような用途で使われていたのではないかという推測をわれわれに 抱かせるのである。遺物の中にビマの像があり、シワ神の変身した姿として作られたもの ではないかという説を語る声もある。ビマ崇拝はモジョパヒッ末期に盛んになった。 カラの像はチャンディの大門の上に掲げられるのが普通であり、その大きさによってチャ ンディの規模が推測できる。バニュビルにあるカラの像は2.5メートルを超えていて、 そこにチャンディがあったはずだと歴史家に思わせているのだが、チャンディのような古 代建造物の遺跡はバニュビル一円にまったく見当たらない。 文字の彫り込まれた石の板もあり、地元民はそれを石碑だと語っているものの、摩耗して いて文字を読むことができない。バニュビルに関する昔話を地元で生まれ育った古老たち から聴取する活動もすでに行われたにもかかわらず、この古代水浴場と思われる場所が持 っている歴史について光を当てることのできる内容は得られなかった。 ブロモ山の頂上一帯に住んでいるトゥングル族のひとびとがバニュビルに奉納祭祀に来た ことがあるそうだ。行われた奉納というのは、米を池の中に撒くことだった。 地元民の間で知られている伝承の中に、ジャワカレンダーのジュマッルギの日にバニュビ ルで水浴すれば永遠の若さが保てるという話があり、またジュマッルギの夜にバニュビル にやってきて幸運を願う祈りを捧げることも地元民はよく行っている。しかしどこの地方 でも、地元民が聖なる場所と考えているところでそんなふるまいが広まるのは普通一般の ことがらであって、バニュビルのヒンドゥ遺跡に関するミステリーとは関係がないと歴史 家は語っている。 ワデル魚と呼ばれる特殊な魚がこの池に棲んでおり、体長115センチ、幅30センチに 達する。この魚は増えもせず、また減りもしないでこの池を棲み処にしていて、魚を獲る ことは禁止されているものの、禁令があろうとなかろうと、その魚を捕らえたりましてや 食べたりする型破りの地元民はいないそうだ。 2005年のコンパス紙記事にバニュビルについてのそんな内容が記されていた。ところ が最近制作されたユーチューブ動画は、そのミステリーを解き明かす話を物語ってくれた のである。[ 続く ]