「大郵便道路(131)」(2025年06月13日) < クラクサアン Kraksaan > 大郵便道路は東へ22キロ進んでクラクサアンの町に達する。ここはプロボリンゴ県クラ クサアン郡が公式名称になっていて、クラクサアン川の両岸にできた同名の町に郡の首府 が置かれている。 クラクサアンの町の手前にアサムバグスという名の村があり、大郵便道路の6百メートル ほどの区間が村の南縁にかぶさっている。その名の通り、道路の両側にうっそうとアサム の並木が並んでいるのだ。結実期にそこを通ったときは地元のひとびとが道路脇で地面に 落ちたタマリンドの実を拾い集めている姿をわたしは目撃した。 ダンデルスは大郵便道路の並木としてアサムの木を植えるよう指示したのだが、昔の姿が 維持されている場所はもうここ以外にどこにもないかもしれない。 ヒンドゥブッダ王朝時代にジャワ島の地の果てのように思われていたプロボリンゴ地方に もチャンディが建造された。クラクサアンの町を越えて2キロあまり先にあるパイトン郡 ジャブン村にあるのがチャンディジャブンだ。このチャンディはモジョパヒッ時代に建て られたものであり、1359年にハヤムルッ大王が行った東モジョパヒッへの視察旅行の 際に大王の一行はこのチャンディに立ち寄っている。 大郵便道路からはチャンディジャブンに向かう支道があって、5百メートルほど南に入っ て行くとこのチャンディを観光することができる。 プロボリンゴ県にあるチャンディはそればかりでない。もうひとつのチャンディはずっと 南に下ったイヤン連峰の山稜に建てられているチャンディクダトンだ。面白いことに、こ のチャンディはチャンディジャブンに近い経度にあって、古代人が聖所としてチャンディ を建てるとき、何らかの定理が使われていたのではないかという気がしないでもない。 サカ歴1292年(西暦1370年)の建造年が記されているチャンディクダトンは西向 きに建てられていて、中部ジャワのチャンディが通常東向きに建てられているのと様相を 異にしている。東ジャワのチャンディは西向きに建てられているものが多く、ジャワ島最 高峰のスメル山に対面させているのではないかという意見もある。 このチャンディの土台部分には33枚の浮彫パネルが埋め込まれており、古代説話のさま ざまなシーンが示されている。どの物語のどのシーンであるかという解読が終わっている のは一部だけで、解読できていないもののほうが多いそうだ。解読されているのはガルー デヤ、アルジュナウィワハ、ボマカウィヤの三説話のものと言われている。 大郵便道路はクラクサアンの町から更に北東に向かって12キロ進み、プロボリンゴ県東 端のパイトン郡に至る。パイトンにも植民地時代にサトウキビ農園と製糖工場が作られて いた。今のパイトンの町の手前にあるスコダディ村に農園と工場があり、工場は大郵便道 路から遠くない場所に建てられていた。 国道1号線を走るわたしの車は、パイトン発電所を見下ろす断崖上の道路を越えてから、 隣のシトゥボンド県が掲げている歓迎のアーチの下をくぐるのである。夜中にその断崖道 路を通ったことが何回かあったが、煌々たる光の充満している発電所エリア一帯は何キロ も離れた場所までその存在を誇示していた。 パイトン発電所から50キロ北方にマドゥラ島がある。とは言っても、真昼間通っても茫 々たる大海原が広がっているばかりで、マドゥラ島のかけらも感じることができなかった。 ともあれ、その海原の美しさが崖の上にいるわたしを魅了したことも確かだ。[ 続く ]