「ジョン・リー(3)」(2025年06月19日) 1966年8月にジョンはヤッヤ・ダニエル・ダルマというインドネシア名に名前を替え た。1988年8月にかれは没してジャカルタのカリバタ英雄墓地に埋葬された。200 9年11月、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領がかれに国家英雄の称号を与えた。 2014年にインドネシア海軍が購入した3隻の軍艦のひとつに、ジョン・リーの名前が 付けられた。コルヴェット型戦闘艦ジョン・リーの船腹番号は358だ。インドネシア共 和国海軍艦艇の命名法はKRI(Kapal Republik Indonesia)を付けて軍艦であることを示し、 個別の艦名には国家英雄の名前、伝統的な武器の名称、魚の名称などが付けられる。だか ら船の名前にKRIが付いていれば国有船舶ということが判る。 他の軍艦2隻にはブン トモとウスマン・ハルンの名が付けられた。海軍艦艇に華人の名 前が付けられたのは長い海軍の歴史の中でめったにないケースだったようだ。国家英雄に 叙せられた華人プラナカン国民はジョン・リーが決して初めてではない。たくさんの華人 プラナカン国民の名前を国家英雄の長大なリストの中に見出すことができる。 しかしその中に海軍に関りを持つ英雄は少なかったのだろう、インドネシア海軍にとって は、プリブミ国家英雄を差し置いて華人系国家英雄の名前を艦名に採用する理由がなかっ たということになるのかもしれない。確かに海軍少将まで昇りつめたジョン・リーの名は、 華人への偏見が消滅するとき、十分な妥当性を持つものになるはずだ。 もう一隻、船腹番号354のKRIオスワルドゥ・シアハアンも華人系の人物名が付けられ ているとイ_ア語AIは述べているのだが、オスワルドゥ・シアハアンという名前から華人 の血統を思い浮かべるのは困難だろう。シアハアンという姓は北スマトラのバタッ族のも のであり、もしもオスワルドゥ少尉自身が華人との混血であったのなら、バタッに溶け込 んだ華人の血統という印象が強まる。華人父系主義に従った華人プラナカンとは異なるカ テゴリーに属しているという解釈の方が妥当かも知れない。中華問題という枠の中では、 このケースはジョン・リーほどの物議を醸しださないものだったにちがいあるまい。 海軍が行った華人名を持つ軍艦の誕生について、国内知識層はその英断に賛辞を送った。 ジョン・リーを国家英雄に叙すよう推薦していたインドネシア科学院歴史学者アスヴィ・ ワルマン・アダム博士は、「長期にわたって忘れられていたジョン・リーの名前が200 9年に国家英雄としてよみがえり、今回かれの巣であった海軍にかれの名を持つ艦艇が誕 生したのは実にポジティブなことだ。かれは自分が半生を捧げた海軍に自分の場所を得た。 」と語った。 歴史家のディディ・クワルタナダは今回のできごとについて、インドネシア民族の一体性 に関する記念碑的できごとだと表現した。「複合民族であるインドネシアの花園に多様さ の花がまた開いた。インドネシア統一国家の建設は華人を含むさまざまな人種と種族の汗 と血でその土台が築かれたものであり、軍艦ジョン・リーの存在が海軍に関りを持つひと びとにそれを思い出させるものになるだろう。」 歴史家ボニー・トゥリヤナは、インドネシア海軍上層部が歴史に対する十分なバランス感 覚を持っていることを証明するできごとであり、民族意識の構築がより高いレベルに発展 するための英断として評価できるとコメントした。「インドネシア民族史の中で華人は脇 役にしか位置付けられていなかった。軍艦ジョン・リーの誕生はきわめて自然なできごと であり、適切な姿勢を示している。」 [ 続く ]