「ジョン・リー(終)」(2025年06月20日) そんな結末に至るまで、スムースなプロセスがあっさりと進展したのだろうか?オルバ時 代に始まった華人プラナカン国民への差別と抑圧の国家方針がオルバレジームの終了した あとも国民感情の中に残滓を残していることは、レフォルマシ時代が到来してもまだまだ 根強く感じられていた。 新しい国家方針を世界に示すために華人系人物を国家英雄に叙する必要があると考えたイ ンドネシア科学院のアスヴィ・ワルマン・アダム博士は、ジョン・リー海軍少将をターゲ ットに選んで2003年ごろからその構想を公表し始めた。 2004年のある日、華人系著名人で弁護士でもある人物から博士に電話が入った。華人 系国家英雄の関連で英雄指定にふさわしい功績のある者の名前を探しているので協力して ほしいという大統領宮殿軍事事務局からの依頼があった、とかれは博士に告げた。ただし 反オランダの民族闘争を何世紀か前に行った人物という条件が付けられていた。 博士は思った。多分オランダ植民地時代に対オランダ叛乱を起こしたカピタンチナという イメージが大統領宮殿側の抱いているものなのだろう。なぜ?どうして現代人ではいけな いのか?ジョン・リー海軍少将は国家英雄としての資格条件をすべて満たしているという のに。 海軍でなく、陸軍でなければだめなのか?ヨッ・スダルソは海軍軍人ではないか。宗教が 問題なのか?オランダ時代のカピタンチナはイスラム教徒でないほうが多いだろう。ジョ ンは篤信のクリスチャンだったのであり、国家原理を十分に満たしているはずだ。それと も密輸行為者だったというイメージから来ているのだろうか?それはまったくの認識不足 だろう。かれのその行動がインドネシア共和国の完全独立達成に重要な役割を果たしたの だ。その面を取り去れば、かれの国家英雄としての功績は半減してしまう。 アスヴィ博士の構想は2009年にやっと結実した。スムースに進展するものであったな ら、そんな長い歳月を必要とするはずがないように思われる。華人プラナカン国民への自 由化政策を政府が打ち出しても、マジョリティ国民が持っている感情が一朝一夕に転変す るものでもない。その長い歳月は国民感情が誘導的になったという判断を下すために政府 が必要とした時間だったのかもしれない。インドネシアの中華問題というものがいかに根 深いものであるかということをそれが示しているように思われる。 ところで、インドネシアでは中華系の者が軍人・警察官・文民公務員になる扉はロックさ れているはずなのに、華人系の海軍少将がいたという事実を知って驚いた読者がいらっし ゃるかもしれない。その回答として、扉をロックしたのはオルバレジームであり、インド ネシア共和国の発端はオルバレジームでなかったという理解を持てばよいのではないかと わたしは考えます。[ 完 ]