「デリのニャイ(2)」(2025年06月22日)

鐘が三つ鳴らされて、タンジュンバライ行きの列車が動き出した。ふたりは別々の車両に
急いで飛び乗った。列車はあっと言う間にクボンピサン駅に到着。そしてまたすぐに動き
出す。駅ごとに停まっては動き停まっては動き、いつの間にかルブッパカムに着いた。

ルブッパカムで二等車に乗って来たひとびとの中にいるひとりの中年プリブミ男の姿を目
にして、西洋人がロスミナと呼んだ娘は顔色を変えた。ついさっきまで隣に座っていた老
女と楽しげに会話していたというのに、ロスミナは快活さを失ってぎこちなく黙り込んで
しまったのだ。何か深刻な考えごとが頭の中をめぐっているようだ。

中年のプリブミ男も美しいロスミナに気付いたものの、男は素振りにも出さないでロスミ
ナから近い座席に座った。

ロスミナはしばらくして心を決めると、男のそばに寄って話しかけた。
「あにさん、どちらへ?」


赤の他人同士の男と女が親しくなると、古代日本の男女は互いに「背の君せのきみ(兄の
こと)」「妹いも」という言葉で呼び合い、またそれを三人称代名詞としても使った。恋
人同士になり、結婚してもその語法は続けられた。疑似家族関係の中に互いを置くことを
好んだのだろう。

社会生活の中で赤の他人を家族の名称で呼び、疑似家族関係を世間の中にまで広げる習慣
がインドネシアにもある。赤の他人であるにもかかわらずbapak, ibu, om, tanteなどの
言葉が呼びかけと代名詞に使われているのだ。そのために古代日本の「せ・いも」の習慣
がインドネシアでは「kakak, adik」という呼び方でいまでも行われている。

カノジョはカレをkaと呼び、カレはカノジョをdiと呼ぶ。結婚してもそれを続けるカップ
ルが少なくない。子供ができるとその言葉が多義性を持つようになるから、避けるように
なるのが普通だと思われる。


男ははじめてその娘に気付いたようにちょっと驚いたふりをする。
「おや、ジャンじゃないか。長い間、家に戻らなかったなあ。おまえはどこへ行くの?」

あれ、この娘の名はロスミナじゃなかったのかな?その説明は後回しにして、娘の振舞い
を見てみよう。娘は悲しげに、男の同情をかき立てるような声で語る。

「もらった金銀細工はもうこの身体から全部離れちゃったの。家に戻れるような顔ができ
るわけないじゃありませんか。」
「家に戻ろうという気持ちがおまえにあるかぎり、悪いことは何も起こらない。戻って来
たおまえを受け入れないようなことをするわたしらじゃないよ。
いまルブッパカムでメダンから来たコメディバンサワンの舞台がかかってるんだ。毎晩、
農園のトアンたちが見物に降りてくる。」

男が何を言っているのかはロスミナにすぐわかった。こうやって偶然に邂逅したというの
に、こいつはすぐにあたしの身体で稼ごうとしてる。


メダン駅がオープンしたのは1886年7月25日で、メダン〜ラブハン間16.7キロ
の線路上をスマトラ島で初めての列車が走った。ルブッパカム駅ができたのは1904年、
トゥビンティンギ駅は1915年。線路はトゥビンティンギ駅でトバ湖に最寄りのシアン
タル方面と、ずっと南東のランタウプラパッ方面に枝分かれする。トゥビンティンギ〜シ
アンタル48キロ区間を越えて、そのころ茶農園事業が盛んになったシアンタル地方に汽
車が入って来たのは1916年だった。

ここで描こうとしているロスミナの物語は1928年にバタヴィアで出版された小説「夢
あふれるメダン」副題「黄金に彩られたニャイ」からとったもので、華人ムラユ文学作家
ジュヴェナイル・クオの筆になっている。[ 続く ]