「デリのニャイ(12)」(2025年07月02日)

しかしロスミナの行くあてはホテルしかなく、今度はメダンのニッポンホテルに入った。
またホテルの娼婦暮らしに舞い戻ったのだ。ニッポンホテルというのは日本人が日本式の
経営を行っているホテルという意味であり、ホテルの名前ではない。中華ホテルも同様で、
華人が経営する中華風ホテルということだ。ニッポンホテルはホテルバタヴィアとかホテ
ルシンガポールなどというホテル名の看板を掲げ、中華ホテルならホテルハムセンなどと
いった屋号が掲げられていた。

ニッポンホテルはたいてい、南洋に出た日本人娼婦が年を取って成功者になり、ホテルを
設けて中に金魚鉢を置き、華人やプリブミの娼婦に稼ぎ場所を提供するような経営をして
いるところが多かった。

ホテルオーナーあるいは経営者の日本人女将は他の者に自分をEmmaと呼ばせ、金魚鉢に詰
める娼婦たちの手綱を握った。ニッポンホテルは中華ホテルと異なる経営手法を使ってい
た。女を連れないで宿泊したホテル客が食堂やバーに来ると、そこへ娼婦を行かせて客の
相手をさせるのがニッポンホテルのスタンダードだったと言われている。娼婦は客に飲食
物を勧め、自分も何かを頼んで客に払わせる。その代わりホテル側は、娼婦自身が寝泊ま
りに使う客室の宿泊料金を娼婦に払わせることをしなかったそうだ。客に上手に勧めてた
くさん飲み食いさせる娼婦はエンマのお気に入りになり、そんなことをしたがらない娼婦
には罵声が飛んだ。

娼婦がニッポンホテルで働きたいと言ってやってくると、エンマはインド人金貸しのチェ
ティを呼んで高額の宝飾品を娼婦に買わせた。娼婦にそんな金はないから、エンマから代
金を借りることになる。娼婦はエンマに借金を作り、借金を返済するまではニッポンホテ
ルから抜けられないようになっていた。

しかしそのようにして買わされた宝飾品を娼婦がいつまでも身に着けているわけがなかっ
た。数カ月後に娼婦はその宝飾品を、それを買ったチェティに売って金を手に入れ、その
金はほんのしばらくの間に使い果たし、エンマへの借金だけが残るというのがお定まりの
ストーリーだった。

娼婦を身請けしたい男が来ると、借金返済がカギになる。ホテル経営によく貢献していた
娼婦に身請けの話が出ると、いかにその娼婦に恨みを抱かさずに身請け話をつぶすか、と
いうのがエンマの腕の見せ所だった。


しかしさすがにここはメダンだ。ある夜、西洋人のトアンがロスミナを買い、ここから出
たいと言うロスミナをトアンはしっかりと受け止め、「わたしのニャイになれ。」と言っ
てロスミナをトゥビンティンギへ連れて行くことにしたのである。そしてふたりが乗った
列車がルブッパカム駅に着いた時、カスミンが二等車に入って来て逃げたロスミナと再会
したというのが冒頭で述べたいきさつだ。

娼婦は稼ぎの場所を替えるときに名前を変えるのが習慣になっていた。娼家であれホテル
であれ町の路上であれ、前の場所で使っていた名前を別の名前に変え、昔の客たちと持っ
た関係を捨て去って別の人間として新しい場所で生まれ変わり、自分の運命を変えてくれ
る男と出会いたいというのが女たちの考えだったようだ。

だからロスミナという名前はメダンのニッポンホテルでだけ使った名前であり、西洋人ト
アンにとってはその名前が自分のニャイになる女を示すものだったということになる。カ
スミンとの婚姻証書に書かれている名前とは違うものなのだ。[ 続く ]