「竹の大砲(3)」(2026年01月29日)

インドネシア人は大音量を好む。バリ島南部のわたしが住んでいる村の中でも、昼間にラ
ジオの歌メドレー番組を村中に聞こえよとばかり大音量で1〜2時間鳴らす家があるし、
カラオケでそれをやる家もある。夜中の11時ごろにしばしば声のひっくり返る素人歌を
大音量で聞かされてはたまらない。ところが村人の中にだれひとり、それをやめろと苦情
する人間がいないのには驚いた。地区町内会長も沈黙して放置するだけだった。

村の中ではないが、隣村の隣くらい離れた場所から夜中に一晩中音楽を(しかも同じ曲を)
朝まで鳴らし続けている家もある。距離が遠いためにわたしの家にはリズムだけが聞こえ
てくるので、わたしはリズムビートだけの音楽を鳴らして陶酔感に酔い呆けている人間が
やっているのかと最初思ったくらいだ。そんなビート酔い愛好家の西洋人の若者が隣のビ
ラにひと月ほど暮らしていたことがあった。その若者は気を遣って音量を控えめにしてい
たが、メロディがほんの少ししか入らない、ビートの効いたパーカッション音楽を頻繁に
鳴らしていた。

隣人の中に大音量で夜中に音楽を鳴らし続ける家があって、その家の主はまだ中年に入っ
ていない高慢なバリ人だからもう諦めている、とバリ島で知り合ったジャワ人のひとりか
ら愚痴を聞いたことがわたしにはある。


大音量は人間を刺激して興奮させる。重低音だけが人間を興奮させるのでなく、音楽が大
音量で鳴っていれば、音域のバランスとは無関係に人間は興奮するようだ。そして興奮状
態に置かれると人間の生理反応が活発化する。

人間が持っている本源的な嗜好の中に、興奮状態に置かれた自分を心地よく感じる心理が
あって、どうやらインドネシア人はそれを求めて大音量を出したがる傾向を培ってきたら
しい。つまり興奮状態の心地よさは善であり、その帰結として興奮状態を作り出すものも
善の価値観を与えられることになるという論理のようだ。唐辛子食と同じように、大音量
の音楽に包まれるとかれらは元気を感じるのだろう。

大音量のズドンは瞬発的だから大音量音楽のもたらす効果とは多少異なっている面がある
にせよ、瞬発性の大音響も人間に衝撃的な驚きを与え、それによって警戒心理が生理的防
衛反応を人体に発生させるだろうから、興奮をもたらすという点に関しては似通っている
ように思われる。


ミナンカバウでは昔から、ラマダン月が始まると竹の大砲が鳴り轟いた。毎日、ブカプア
サの時間を待ちながら、若者たちは大音響を発することに熱中した。ミナンの田舎へ行く
と、若者たちは川べりに竹の大砲を持ち寄って大砲戦争を行っている。競技でなく、みん
なが集まって遊んでいるだけだ。

アチェで竹の大砲が吠えるのはタラウィの礼拝のあとからサウルの時間まで。イドゥルフ
ィトリ大祭が近付くにつれて、砲声が賑やかさを増す。イドゥルフィトリ前夜のタッビラ
ンの夜は断食を終えて最後のブカプアサを迎えた歓びが町の中を覆い尽くし、いたるとこ
ろに据えられた竹の大砲がズドンズドンを連発する。いよいよ祭りの本領発揮が頂点に達
する。[ 続く ]