「ムダン王国(7)」(2026年04月13日)

チャンディ時代の初期のものとされているディエン高原のチャンディ群は7世紀末ごろか
ら建設されはじめたという説が優勢であるように見える。開祖サンジャヤ大王によるムダ
ン王国の建国が732年であるとするなら、7世紀末というのはカリンガ王国ラトゥ シ
マ女王の時代が推測されるために、カリンガ王国時代からジャワ島でのチャンディ建造が
始まっていたように考えられるわけだが、どうしたことか、チャンディに関するイ_ア語
情報の中にカリンガの名前を述べているものを目にしない。

シワ=ヒンドゥ教を信仰するサイレンドラ王家はラトゥ シマ女王からパルワティ〜サナハ
〜サンジャヤと受け継がれていったものであり、ディエン高原のチャンディ群がすべてシ
ワ=ヒンドゥ教様式で建てられており、またそれらがサイレンドラ王家によって建てられ
たとされていることと上の仮説は完ぺきにフィットするというのに、いったい何がその現
象を引き起こしているのだろうか?


ディエン高原はウォノソボ県とバンジャルヌガラ県にまたがる広さ約620Haの高原で、
太古の時代にその一帯にあった火山群が一斉に噴火して山頂を吹き飛ばし、標高2千メー
トルを超える広範囲な高原が作られたというのがその地形の由来だ。

ディエン高原の北側にKemulan山とPerahu山が立ちはだかってジャワ島北岸部との衝立を
形成し、南にはBismo山とSindoro火山がジャワ島南岸部を目隠し、さらに南東にスンビン
火山が屹立して高原の四周を包む地勢になっているため、この高原は盆地の趣を強く持っ
ているのだが、インドネシア人は盆地と呼ばずに高原と形容している。相対的な高低でな
くて絶対的な標高が鍵になっているのかもしれない。

この高原の地下には今でも活きた溶岩がうごめいており、8ヵ所あるSinila、Siglagah、
Candradimuka、Sikidang、Sibanteng、Timbang、Sileri、Sikendang火口から時おり有毒
ガスが噴出している。

標高2千メートル超のディエン高原は早朝の気温低下が激しく、チャンディアルジュナで
測定された過去の最低気温はマイナス10.5℃だったと記録されている。南半球の冬で
あるインドネシアの乾季の7〜8月には気温がしばしばマイナス1℃〜マイナス3.5℃
まで下がり、この地方で盛んなジャガイモ栽培の大敵になっている。ジャガイモ畑に霜が
降りたり地面に霜柱が立つとたいへんなことになるため、ディエン高原の農民たちは霜の
ことをembun upasと呼んでいる。多分「毒露」という日本語になるのだろう。

ちなみに、中部ジャワ州でジャガイモの最大生産地がこのディエン高原だ。歴史的には元
々タバコ葉やトウモロコシがこの地方の主要生産物になっていた。タバコ葉は高い経済性
を持っていたため、ディエン高原の農民はそれで十分な収入を得ていたようだ。ところが
世界的なタバコ排斥運動のためにタバコ葉が収入をもたらさなくなった結果、農民たちは
野菜栽培への切り替えを余儀なくされた。ジャガイモの経済効率がもっとも高かったらし
く、農民たちの間でジャガイモ栽培が主流になったという歴史が語られている。


そんなディエン高原に建てられているチャンディ群の中で初期に建てられたCandi Arjuna、
Candi Semar、Candi Srikandi、Candi Gatotkacaは7世紀末から8世紀第一四半期までの
第一波、残るCandi Puntadewa、Candi Sembadra、Candi Bima、Candi Dwarawatiなどはそ
れ以降780年ごろまでのものという二波に分かれて作られた。かつては4百ほどのチャ
ンディがディエン高原を埋めていたと推定されているにもかかわらず、現在残っているの
は8チャンディ群のみだ。

その中で中心的地位を占めているのが盆地の中央に建てられたアルジュナで、スマル、ス
リカンディ、プンタデワ、スンバドラが一群を形成している。ガトッカチャチャンディ群
はスティヤキ、ナクラ、サデワなどから成る一群で、アルジュナチャンディ群から4百メ
ートルほど南西に離れており、一方チャンディドゥワラワティは1キロ弱北東のパゴナン
丘の麓に建っている。

ディエン高原チャンディ群は中部ジャワ北部建築様式という区分の代表格に位置付けられ
ており、他地域では東ジャワのCandi Gedong Songo、Candi Badut、及び西ジャワのCandi 
CangkuangとCandi Bojongmenjeが同じ区分に属している。

中部ジャワ北部建築様式の特徴として、小型で簡素、装飾性がとぼしいといった点を挙げ
ることができる。カラサン・セウ・プランバナンのような巨大で装飾性に富んでいる中部
ジャワ南部建築様式とは対照的だ。[ 続く ]