「ジャンガラ王国(前)」(2026年04月30日) アイルランガ大王によるカフリパン王国分割によって東側のジャンガラ王国がマパンジ・ ガラサカンの王国になった。JanggalaもしくはJenggalaというのがその国名であり、サン スクリット語のジャンガラは乾燥した荒れ地を意味している。一方、別の説によればジャ ンガラの語源はHujung Galuhが音変化したものであって、サンスクリット語ではないそう だ。Hujung Galuh→Ujung Gale→Junggale→Jenggale→Janggalaという変化プロセスを推 測させるその説は、確かにあり得る話のようにも思われる。 ところが、古文書にしばしば登場するウジュンガルという地名は現在のスラバヤ市内の一 画であるという説と、スラバヤ市近辺のどこかの港であるという説が併存している。史学 界の意見が一致しているのはブランタス川の河口のどれかだということなので、スラバヤ 市内もシドアルジョもその条件に合致する。 そうなってくると、王都カフリパンとウジュンガルは同じ場所の別名かという気がしそう になるのだが、そんな主張をしているイ_ア語情報は見当たらない。 ウジュンガルをスラバヤに結びつける主張がはるかに強いのは、シゴサリ王国征伐を目的 にしてジャワ島へ進軍して来た元王朝の大軍船団がトゥバンからウジュンガルまでの沿岸 部を制海権下に置き、ウジュンガルに上陸して陣地を構え、捕らえたジャヤカッワンをウ ジュンガルの牢獄に幽閉した事実が強い根拠をもたらしているからではないかと思われる。 ウジュンガルをシドアルジョのポロンであるとする説はそのストーリーによって否定され るにちがいあるまい。元の軍船団はトゥバンからスラバヤまでの海域を支配すれば十分に 事足りたはずであり、手ごろな位置にあるスラバヤを使わずにシドアルジョまで作戦海域 を広げることに合理性が感じられないからだ。 そうするとジャンガラという地名のウジュンガル語源説は正当性が大きく低下するように 感じられる。スラバヤのどこかに位置するウジュンガルはジャンガラという国名あるいは 地域名の外にあったということになるのではあるまいか。 ちなみに、元史巻二一〇爪哇傳に述べられているジャワ島征伐物語には、戒牙路という地 名が出て来る。その地名はジャワの地名を音写したものであるのが明白であり、中国語解 説にもJangalaというアルファベット文字が添えられていた。 その各文字が表す音について調べたところ、次のような状況が見出された。 北京語 jie4-ya2-lu4 中国中古音 keajH-ngae-luH 現代普語 jie3-nia1-lou3 現代広東語 gaai3-ngaa4-lou6 現代福建語 gai3-ge-lo 戒がjiaやjieの音で発音されるのは標準北京語・四川省バージョン・普語のみのようであ り、他の諸語はガの音になっている。牙がgaやngaの音になるのは廣東・客家・福建など 中国南方の諸語だ。戒牙路は本当にjie-nga-luと発音されたのだろうか? それはともかくとして、戒牙路Jangalaはスラバヤを意図していたと解説されており、そ の文字はウジュンガルを音写したものと見なすのが自然な解釈になると思われるのだが、 その綴りを見る限り脳内にジャンガラという音が渦を巻くのも間違いあるまい。この現象 を踏まえて冒頭の語源説を振り返ると、ウジュンガルとジャンガラのつながりは中国語を 介して起こった説ではないかという気がしないでもない。 アイルランガ王の時代にブロラ〜ボジョヌゴロ〜トゥバン〜ラモガン〜スラバヤ〜シドア ルジョ〜パスルアンをカバーする広域エリアがジャンガラと呼ばれていたのではないかと する説も語られているが、その場合は王都カフリパンを国名にしたカフリパン王国の中に ジャンガラ地方があり、そこに王都カフリパンが含まれるというややこしい関係になるよ うな気がする。しかし実態としてTerep碑文にKahuripan i Janggalaという句が記されて いるのだから、間違いと簡単に言えないことも確かだろう。 ジャンガラ王国が誕生したころの王都カフリパンは間違いなくシドアルジョ県ポロンのブ ランタス河口にあり、ウジュンガルはスラバヤの港を指す言葉になっていた。それまでの 歴史の中でどの土地がどの言葉で呼ばれたのかが不明瞭であるために、われわれは頭を悩 ませることになるのである。[ 続く ]