「カディリ王国(1)」(2026年05月02日)

カフリパン王国が二分割されてできたパンジャル王国は時代が下がって来るとカディリ王
国と呼ばれるほうが多くなったが、最初のころはパンジャルという王国名のほうが一般的
だった。panjaluあるいはpangjaluという言葉の語幹であるjaluとはオスや男あるいは男
らしさを示す古ジャワ語であり、その語感を捉えて自立や独立自尊といった意味に解釈さ
れている。

現代ジャワ語では闘鶏の脚に付ける刃物を指すほうが多いようだが、使用頻度はtajiより
も劣る。バリ島でもtajiと呼ばれるほうが一般的であり、jaluをセックスの意味で使う地
方がバリ島にあるので、ジャルは使わないほうが無難なようだ。


カディリという地名はパンジャルに該当するサンスクリット語khadhiriであるとされてお
り、両者は翻訳関係にあって同じ意味を別の言語で言っているだけという解説になってい
る。ヒンドゥブッダ時代にはそのようなことがしばしば行われていたらしく、Kahuripan
は時にJiwanaと呼ばれ、MajapahitはWilwatiktaと呼ばれることがあった。

一方、カディリの地名はサンスクリット語のkhadriが由来だとする説もある。khadriはイ
ンドネシアでpaceあるいはmengkuduと呼ばれている、学名Morinda citrifoliaという樹木
を指しており、その木の皮はバティッの染料である紫がかった茶色を産し、その実はさま
ざまな薬効を持っていると信じられている。

パンジャル王国の王都が置かれた土地はDahanapura略称Dahaという名称だった。サンスク
リット語ダハナプラは火の町を意味している。ダハの町は長女サングラマウィジャヤの即
位のためにアイルランガがカフリパンから王都を移したと思われるので、そのためパンジ
ャル王国設立より先にカフリパン王国の王都になっていたと言えるかもしれない。

イ_ア語ウィキペディアはパンジャル(カディリ)王国の王統譜を次のように示している。
二代目の在位年がたいへん長く、昔はその間に他の王がいたのではないかと推測されてい
たが、最新の解説は下の結論になっているようだ。王国開始年をアイルランガの退位年
(すなわちカフリパン王国分割年)としている説が多く見られ、その場合は1042年が
カディリ王国の開始年とされている。わたしは敢えて、異説を採用した。
1. Sri Samarawijaya (1043-1051)
2. Sri Jitendrakara (1051-1112)
3. Sri Bameswara (1112-1135)
4. Sri Warmmeswara (1135-1159)
5. Sri Sarweswara (1159-1169)
6. Sri Aryeswara (1169-1180)
7. Sri Indra (1180-1182)
8. Sri Kameswara (1182-1191)
9. Sri Kertajaya (1191-1222) (Sarwweswaraのアビセカ称号で呼ばれることもある)
10. Jayakatwang (1292-1293)

第4代目の王が一般にJayabhayaと呼ばれている王であり、ジャヤバヤ王がジャンガラ王
国を征服して併合し、分割されていたジャワの王国を統一国家に戻した。

また第9代の王のときにカディリ王国は王国領トゥマプルの領主になったケン アロッと
の戦争に敗れて覇権を失い、ケン アロッがシガサリ王国を興したためにカディリはその
属領に落とされた。こうしてカディリ王国は一旦地上から姿を消した。

ところがシガサリ王国の一属領の領主になっていた、カディリ王国の血筋を引くジャヤカ
ッワンがシガサリ王国に謀反して国王を殺し、カディリ王国を再興させた。そのため第9
代と第10代の間にシガサリ王国時代の長い歳月がはさまれている。

ジャヤカッワンが再興させたカディリ王国は元寇によって滅ぼされ、ラデンウィジャヤが
シガサリ王国を後継するマジャパヒッ王国を樹立してヒンドゥブッダ王国時代の最期を飾
るのである。

そのジャワ島への元寇の話は拙著「ジャワの大砲(全18回)」(2026年03月11
〜28日)をご参照ください。
https://indojoho.ciao.jp/2026/0311_1.htm
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[ 続く ]