[ 賭博 ]


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『トーゲル』

4月12日現在、ミントリ26歳はまだ当局に拘留されている。国家警察機動旅団の元隊員で、辞めるときの階級が一級副巡査部長だったかれは、いまや民間人。警察組織の顔に泥を塗った行為のおかげで2月24日、かれは免職処分を受けたのである。

正当化しうる根拠もなしに、ミントリは民間人に発砲した。死者がひとり、負傷者がひとり出た。ミントリは長い法的プロセスを経た上で、最終的には民事法廷で裁かれることになる。そしてその判決が下るまで、かれは容疑者として扱われる。
懲役三年の判決を高等裁判所が下したものの、その判決には法的効力がまだないと見なされているアクバル・タンジュン国会議長の足跡をたどるなら、ミントリのストーリーはもっと長いものになる。明白な事実としてあがっているのは、かれが自分のピストルから発射した三発の弾丸がひとりの人間の生命を奪ったということ、そしてもうひとつは、その発砲が行われる前、かれはとあるトーゲルの胴元と金をもらうために会っていたということだ。
どうして発砲しなければならなかったのだろう?それは法廷で明らかにされるべきことがらではあるが、ミントリの物語る理由も受け入れられる余地はあるようだ。つまりそのとき、その胴元がミントリのことを「どろぼう!」と叫んだというのである。その結果かれは群衆に追われ、自衛のために発砲せざるを得なかったのだ。


トーゲルは数字をあてる賭博だ。二つ、三つまたは四つの数字をあてる。二つの数字をぴったり当てれば、賭け金の70倍が胴元から返ってくる。1千ルピア賭ければ、7万ルピアの収入。数字が三つだと450倍、四つの数字では2,500倍!そのような賞金の誘惑はとても強いものがあり、そしてそんな数字は簡単に当てられるように思える。垂涎ものなのである。
この夢を売る賭博は中流以下の階層にたいへんな人気だ。おまけに賭博クーポンは一枚5百ルピアと、とても安く買える。ひとびとは5百ルピア、1千ルピアの資金で突如大金を手にできるのではないかと夢を見る。
数字は胴元が認証するためにサインしたブランクのクーポンに記入される。印刷されたクーポンを使う胴元もいる。胴元は直接ひとびとと接触するエージェントを何人も持っており、エージェントたちは得た金を胴元に納め、また当り籤に対して支払い役も引き受けている。しかしクーポンの売上や賭け金を胴元に納めないエージェントも中にいる。
トーゲル賭博システムにおいて、そのような行為は違反ではない。胴元は決して怒ったりしない。なぜなら、そのエージェントが納めなかった売上の中に当り籤が出た場合、そのエージェントが自力で賞金の支払いを行わねばならなくなるからだ。そんな緩やかな決まりの中に、ときにはエージェントが胴元として行動する機会が開かれている。ところがもしも運悪く当り籤が出て、そこに数万とか数十万ルピアの金が賭けられていたなら、かれは大損を蒙る。その支払いを埋めることができなければ、はいて捨てるほど実例があるように、かれの全財産はすっからかん。

ジャカルタのトーゲル中心地はスネンとジャティヌガラ。そこには、世間にその名を知られた大物トーゲル胴元がいる。スネンでは「N」、ジャティヌガラは「M」。それら中心地におけるトーゲルの売上は一日になんと20億ルピアにのぼる。


賭博であるために、法律上トーゲルは禁止されている。警察は雑魚クラスの胴元や賭博者を繰返し逮捕しているが、NやMレベルの胴元が捕まったという話しは耳にしたことがない。ミントリは警察官として、ト−ゲルが禁止されていることを知っていた。だからかれは、自分で逮捕したりあるいは上司に報告したりしないための『口止め料』をトーゲル胴元に要求した。ところが、情報によれば、ミントリが口止め料を要求したとき、胴元はクーポンがまだあまり売れていないので「金はまだやれない。」と断ったらしい。
そんなことがはじめてではないミントリは、引き下がろうとしなかった。しつこく食い下がられた胴元がミントリを指しながら「どろぼう!」と叫んだのが災難の元。ミントリは群衆に追われ、何も知らずにそこを通りかかったひとりの女性が弾丸を受けて死亡するという悲しむべき出来事が起こったのである。

実際のところ、ミントリは警察官としてその賭博胴元を捕らえる義務があった。捕らえて取り調べ官にその身柄を引き渡すのだ。なぜなら警察官ひとりひとりは、違反の発生を目にしたなら、法の執行を行わなければならず、そしてまたそうするよう義務付けられているのだから。トーゲルの胴元やエージェントを捕らえるのに、捜査官になる必要はミントリにはない。
「現行犯逮捕の場合、警察職員はだれでも法律違反者を逮捕することができる。逮捕してから身柄を取調べ官に引き渡すのだ。」エドワル・アリトナン国家警察広報副部長は断言する。しかしあのような行為、つまり権限を持っているのにそれを振るおうとせず、それどころか金にしようとするようなことは頻繁に起こっている。ミントリだけではないのだ。
ミントリのケースにおける法律違反者、つまりトーゲル胴元も自分が逮捕され得ることを知っている。だから自分を捕らえる権限を持っている者にそうしないお礼として金を渡す。そんな関係は一回限りでなく、たいてい長期にわたる。お礼を渡す時期が週単位か、あるいは月単位か、を合意するだけ。
それがミントリのような者たちにとって『副収入』と呼ばれるもの。ミントリの供述では、機動旅団隊員としての給与は月百万ルピア。7ヶ月ほど前に結婚して以来、かれは警察寮を出た。借家の家賃は月34万ルピア。結婚資金としてある銀行から2百万ルピアの借り入れをしたため、その返済が毎月20万ルピア。だから自分と家族のための生活費は給料からそれらを差し引いた残りのわずか46万ルピア。
「へえー、それでやっていけるの?」という質問にミントリが返したのが「副収入で埋めてる」。ごろつきのさまざまな寄付依頼でしょっちゅう煩わされる民間会社のガードマンになる者もある。そんなごろつきをあしらうために、公職者に給料をやれば良いと会社の経営者は考えるのだ。しかし中にはト−ゲル胴元のような法律違反者とコンタクトを取る者もある。
本紙が集めた情報では、ミントリのような男たちに胴元が渡す金は、会うたびに5千ルピア。もちろんたいした金額ではない。なぜなら胴元に金をむしりにやってくる者は決して少なくないのだから。悪徳警官側も、金をむしれる相手は少なくない。数百人はいる。エージェントまで含めれば数千人にのぼるかもしれない。そうなると、集められる金額は膨大なものになる。警官ひとりが胴元やエージェント20人に会いに行くだけで、ひとりひとりから5千ルピア集めたとしても10万ルピアが手に入る。次ぎの日は、また別の胴元やエージェントに会いに行く。そうやって全員にひとわたり当り終わると、時計のように再び最初にもどる。それが延々と続けられる。

「糧を分かち合うのさ。」中央ジャカルタ市スネン地区でエージェントのひとりが言った。都民の大多数にとって、糧を分け合う行為はもはや公然の秘密だ。ミントリだけが知っている?いやそんなことはないようだ。そうだから、ト−ゲルが自由に公然と行われているのも当たり前。
ミントリや巡卒たちだけが知っているのでないとすれば、疑問は同じ。トーゲルやその他の賭博行為が公然と続けられているのは、どうしてなのか?シマラカマの実のようなもの。警察がどのように答えようとも、世間はただ冷笑を示すばかり。
ソース : 2003年4月14日付けコンパス
ライター: Bob Hutabarat


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『ロットレ・ブントゥッからSDSBまで』

インドネシアの賭博は、すくなくともオランダ人がインドネシアに居住するようになって以来の長い歴史を背景に持っている。昔は概して、賭博は常に夜の歓楽の世界と関連付けられていた。オランダの支配下で、賭博はその地の理事官が定める法令で統制された。シナール誌の1998年12月8日号に掲載されたブタウィ・タナアバンの長老のひとりハジ・ナワウィの談を引用すれば、ジャカルタにおける賭博のはじまりはマージャンとルーレットだとのこと。ホワホエは、香港、シンガポール、マカオから浸透してきた賭博の影響だそうだ。

「賭博でなにが違うかといえば、経営者だ。日本時代は賭博が自由だったと聞いているし、1950年代には賭博場がたくさん開業し、手入れを受けたという話しもめったに聞かれなかったことを記憶してる。せいぜい数ヶ月に一度、どこかの賭博場がやられる。手入れを受けないのは、経営者が金を治安職員にうまく渡しているから。」ある賭博場の元従業員マルティン・ヤンはそう回顧する。
ジャカルタでの賭博公認はアリ・サディキン知事が行った、とかれは物語る。「1968年から1981年までそれは続けられた。そして賭博場の公式認可の延長がなされなくなって、闇カジノがはじめて開業するようになった。」開いて一週間しかたたないのに摘発される店、治安職員への贈賄金を用意して一ヶ月間もたせる店。「治安職員の手の届きにくい場所にカジノを開く胴元や、カジノの警備に治安職員を使うところもある。今でもオープンしてほぼ三年たつカジノがあるが、きっと上納金が妥当な額なんだろう。三年間でどれだけの金が何箇所から治安職員たち個人の懐に入ったのか、ちょっと計算してみれば…?」とかれは話しを続ける。

宝くじ形式の賭博は1960年代から行われており、当時はロットレ・ブントゥッという名で広く知られた。バンドンでは昔、競馬を使って資金を集める方法としてトトラガと呼ばれる宝くじがあった。一方ジャカルタでは、アリ・サディキン知事の時代にトト・コニ(KONIとは国民体育国家委員会:訳注)とナロのふたつの宝くじが登場した。ところがスカルノ大統領は1965年、ロットレ・ブントゥッは民族のモラルを破壊し、国家転覆行為に分類されるものであると表明する大統領令第113号を公布した。
オルバ期に入ると、宝くじは発展を続けた。1968年スラバヤ市行政府はロット・ボン・スルヤを発行したが、それは1969年にスラバヤで催される第7回国民体育祭の資金集めを目的にしたもので、スポーツゲームとは関連性を持たない単なる宝くじだった。
1974年、トト・コニは廃止された。政府は当時のミンタレジャ社会相に命じ、賭博要素のない籤形式のものとしてフォーカストを催す企画の検討をはじめた。二年間の比較研究の末社会省は、イギリスのフォーカスト催行はシンプルな形態で営まれており、賭博に接近することはない、との結論に達した。そのときの資金分配比率は主催者、政府、賞金獲得者間で40−40−20とされた。
1976年、最高検察庁、国家諜報庁、内務省からの評価見解を再確認したところ、その企画に対する抵抗はほとんど見られず、そのさい分配比率は50−30−20と変えられたが、スハルト大統領が慎重な姿勢で更に深く検討するよう要望したために実施は見送られた。
フォーカストくじが実施に移されるまで、七年近い歳月がかかった。1985年12月28日、ポルカス・セパッ・ボラ(サッカー・フォーカスト)賞金付きクーポンが公認され、流通販売が開始された。このポルカスはインドネシアにおけるスポーツの育成発展を目的に広く一般社会から寄金を集めるのが趣旨だった。ポルカスは、社会悪の発生なしに賞金が与えられる抽籤が催行されることを意図した、抽籤に関する1954年第22号法令に基づいて認められたものである。

トト・コニとは異なり、ポルカスは数字を当てるのでなく、M−S−Kつまり勝ち−引き分け−負けを当てる内容のものだった。もうひとつの違いは、トト・コニが全国津々浦々まで流通したのに対しポルカスは県レベルどまりで、しかも17歳未満の者の販売、流通、購入が禁止されていた。
ポルカス・クーポンには14の欄があり、14のサッカーチームが14回プレーしたあと、当たりが週一回公表された。対戦スケジュールはPSSI(全国サッカー協会)によって国内外でのゲーム日程から決められた。1985年当時一枚300ルピアだったクーポンを手にした人たちは、どのチームが勝ち、負け、引き分けるかを予想した。14チームの結果をぴたりと当てた人には1億ルピアの賞金が待っていた。
1986年1月11日、第一回ポルカスの結果が公表された。その年の2月末までにポルカス催行で集まった金は10億ルピアに達した。86年中旬にポルカス・クーポンの販売は窓口制に変わり、逸脱行為を行ったディストリビューター、エージェント、サブエージェントは賞金付き寄金クーポン制度を運営している社会福祉奉仕寄金財団YDBKSに資格を剥奪された。
1986年10月、年内の売上目標である130億ルピアに対して既に110億ルピアの実績があがった。その金額からコニ本部は15億ルピア、コニ地方支部45億、PSSI本部14億、青年スポーツ省2.5億、ソウル第10回アジア大会委員会2.5億、管理費85〜90億、そしてパーマネントファンドとして40億ルピアが積みたてられることになっていた。(数字は原文通り=訳者)

1987年末、ポルカスはより実際的な性格の賞金付きスポーツ寄金SOBクーポンに名前が変わった。SOBクーポンには二種類あり、ポルカスのように勝ち−引き分け−負けを当てるのでなく、ゲームのスコア、もっと詳しく言えば前半後半のスコアを当てるサッカー予想クーポンと、もうひとつはサッカーの結果と文字を当てるもので、1987年の一年間でSOBは2,212億ルピアの金を社会から吸い上げた。
1988年中盤、開発職能会派と開発統一会派は、SOBと賞金付き社会寄金証TSSBは社会的にネガティブな結果を招き、農村部の民衆の金を吸い上げ、地方部の経済生活を乱すものである、と表明した。ラハマッ・ウィトゥラル開発職能会派事務局長は、「タバコ税を引き上げることでSOBとTSSBを廃止するべきである。なぜならそのふたつのスポーツ振興寄金募金ファシリティは、現在推進中の国民規律運動を崩壊させ、またやはり現在喧伝されている勤労エトス向上精神をなしくずしにする傾向を持っているので。」と述べている。
1988年7月中旬、ハルヤティ・スバディオ社会相は国会第8委員会作業会議において、その年のSOBとTSSBクーポン販売で、民衆の金9,624億ルピア、つまり1987年実績の実に4倍、が吸い上げられると見込まれる、と断言した。
1989年1月1日、SOBとTSSBは廃止されてSDSB(賞金付き社会慈善寄金)という名の新たなゲームにとって代わられた。SDSBは慈善の心を伴う寄付を意図し、クーポンは二種類あった。クーポンAの価格は5千ルピアで当たれば10億ルピアの賞金、クーポンBは1千ルピアの価格で賞金は360万ルピア。クーポン抽籤は週一回で、クーポンAは百万枚、クーポンBは2千9百万枚の合計3千万枚が発売された。

宝くじ所得税の税収は1986年が20億ルピア、87年30億、88年40億、その後の数年は80億ルピアが続いた。1991年には国税総局との交渉がなされて、催行者は付加価値税134億ルピア、抽籤景品税と所得税120億ルピアの納税を余儀なくされた。
1993年11月25日、政府は1994年度のSDSB催行を取消し、認可を与えることを廃止した。学生たちのさまざまな反SDSBデモのあと、インドネシアにおけるSDSBロッタリーは消滅したのである。
ソース : 1999年5月31日付けコンパス


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『インドネシアの賭博 〜 適正なコントロールが必要』

いまや日増しに盛んな賭博をインドネシアに持ち込んだのはいったいだれなのか、たしかなところを知るひとはいない。ジャカルタのとある賭博場の元従業員だったマルティン・ヤンは、インドネシアの賭博はオランダ時代からあり、日本時代にも受け継がれ、今日にいたっていると説明する。「往時、賭博場はスネン、ブグル、パンチョラン・グロドッ、あるいはその他の数箇所で開かれていた。」とかれは物語る。

政治や経済の状態がどうあれ、賭博は社会のさまざまな階層から愛好者を引き寄せる。大型実業家、商店主、タバコ売り、ベチャ引きやオジェッ引き、そのほかのいろんな職業のひとが、カリジョド地区ではホアホエ、グロドッ地区のグロリア商店街の横ではルーレット、などとさまざまな賭博に興じている姿を目にすることができる。
賭博は突然盛況を見せはじめた。賭博者たちがいろいろな賭博に賭ける金は5百ルピアから数百万ルピアにわたり、クリスモンと呼ばれるものが幻影でしかないことをあらわに見せてくれる。ルーレットテーブルで、ホワホエのクーポンと一緒に、あるいはその他の賭博の舞台で回転している金を見るなら、インドネシアを襲っている通貨危機など眼中になくなってしまう。なにしろ賭博の世界で回っている金が月数十億ルピアにのぼるのだから。おまけに賭博の胴元たちが、逮捕されるリスクをミニマイズし、事業を永続させるべく支払う「警備費」を見るにおよんでは。
グロドッ地区の何人かの胴元たちのうちで、グロリア商店街の横にカジノを持っているアパオという名の胴元は、毎日7千数百万ルピアの「警備費」を納めていると概算する。その金額のほかに、末端階級の治安職員(警察パトロール、トラックに一個小隊ほどが乗った軍のパトロール、都庁職員等々)が集めにくる一人一日5千ルピアの小銭もある。そんな小銭を集めにグロドッへやってくる連中の中には、はるかタングランやセランから来る者もいる。
そのような賭博は、資本市場、店舗開設、事業投資、商業活動などといった経済用語で語られる諸活動と同じく、固有のビジネス分野なのである。


ひとつのビジネス分野として、賭博の催行からあがる利益は膨大なものがあり、そしてまた多くの職をひとびとに与えることもできる。たとえばホワホエ賭博では、胴元が資金と賞金を用意するが、そのほかに賭博者にクーポンを売る何十人ものエージェントやサブエージェントがいる。さらに胴元と関係のない、独立したコード記載屋もいる。かれらは10日間3万5千ルピアでコード書きのサービスを行う。ルーレットやバカラ、そしてトーゲルにも同じことがあてはまる。
通称トーゲルと呼ばれる闇トトは、コードを書くサービスを商売にする者が関与する。「あいつらはたいてい適当に書いてるだけ。いいかげんなものだ。」コタ地区でインタビューしたルディという名の男はそう語った。ルーレットテーブルには少なくとも10人分の仕事がある。賭けに勝った者に支払いをするテーブル差配、そしてルーレットテーブル上に置かれたチップや金が勝ったのか負けたのかを見張る者たち。

カジノの規模になれば仕事はもっと増える。出入り口の番人、個々に集金に来る治安職員への支払い係、小銭の集金役、そして店の周辺で飲食物を売る者たちまで。賭博場周辺での現金の回転は巨額で且つ迅速だ。
「カジノには良い点悪い点がある。カジノのメリットは金貸しも含めて多くの従業員を雇えるから、千数百人に生計を与えることができる。悪い点は、多くの人がカジノのような賭博で道を踏み外してしまうこと。」とのマルティンの説明。
賭博場があげる収入はだれにとっても垂涎の的。電子マシーンを使ったスピードテストセンターは、数十台のディンドン・マシンでさまざまなゲームができるようになっているが、一日の収入は平均して5億ルピア。
一日7千万、一月で21億ルピアの警備費を納めるグロドッのアパオが賭博の催行であげる収入は数百億ルピア。その数百億ルピアを賭博者の側から見るとどうだろう。スラバヤのある賭博者は、50〜100万ルピアを持ってこなきゃならない、と告白する。その金でコインを買うのだそうだ。5万ルピアでコイン50個。たくさんポイントを集めれば、一日で百万ルピアになり、賭博者は何倍もの利益を手に入れる。ある青年実業家は、ディンドンゲーム賭博で遊んだ時期がある、と話してくれた。仲間から聞いたような何百万ルピアもの賞金を得ようとあちこちでためしてみたそうだ。「その結果は2百万近い金がディンドンで消えた。手に入ったのは4千ルピアのタバコ一箱だけ。」と語る。

賭博胴元たちはそのように、賭博ビジネスを催すことで得られる巨額の利益をエンジョイする。聞くところではホワホエの胴元は、はじめた初日に2百万ルピア前後の収入をあげ、一週間過ぎればそれは1千万ルピアになり、3〜4週間後には2千5百万ルピアに達するという。
ジュランバル地区で行われているホワホエ・パコンの第ニ列エージェントであるコダは、胴元の収入は一日4億ルピアにのぼる、と語る。
「第ニ列エージェントのわしは、売上の25%をもらえる。わしは手下12人を使ってホワホエ・クーポンを80冊分売る。枚数では8百枚くらいだ。手下のコミッションは売上の17.5%から18%。」というコダの説明。

巨額の利益という誘惑とともに、このビジネスにはリスクもある。トトのような賭博はふつう、当り籤決定メカニズムが不透明であり、またジャカルタ中心主義的傾向にあるために胴元と賭博者の間で起こる諍いは日常茶飯事だ。ソンカ(空当り)と呼ばれるメカニズムがある。胴元は賭けられたクーポンを先に調べ、どの数字が多いのかを見るのだ。

バンドンでは、クーポンは闇ルートで流され、偽造のリスクが高く、そしてサブエージェントや胴元は警察の逮捕を恐れて決して姿をあらわそうとせず、隠れて仕事し、そして当り数字はシンガポールから出てくるようになっている。シンガポールで当り数字が決まるというところに、サブエージェントや胴元のソンカ操作のチャンスが開かれる。
ガトッ・スブロト〜キアラ・チョンドン地区で会った胴元のひとりは、一回の抽籤にたいてい50人以上が賭けてくると言う。「考えてもみな。その四分の一がピタリと数字を当てたら、賞金の金繰りでおおごとになる。」と語るその胴元の言葉は十分理解できるものだ。かれは一回の抽籤で一割のコミッションを手に入れるだけなのだ。そのため、あまり賭けられていない数字を当りにするよう、サブエージェントと胴元の癒着は頻繁に起こる。「抽籤の前に大胴元に電話して賭けられてる数字の配置を知らせる。だれも見てないからわかりゃしない。むろんうまく行く。」とその胴元は物語る。


おいしくて、しかもリスクに満ちたビジネス分野だが、賭博は人間の生活にネガティブな影響をもたらす。常習性がそこについてまわるのだ。賭博のせいであちこちの家庭内に諍いや別離が生じる、とマルティン・ヤンは語る。だからといって、モラルの圧力だけで賭博行為が止まるものでは決してない。

人材スペシャリスト会社イラダッ・コンサルタントのJAAルメサー、通称ジョーは、「規範から賭博を見れば悪になる。」と言う。「人殺しや泥棒と同じになるから、賭博に対するポジティブな法的定義がなされなければならない。常習性を生む賭博は逸脱現象である。学習理論と呼ばれている基礎心理学の理論では、もしある行為がポジティブな評価を得れば、それは頻繁に行われるようになるが、評価がネガティブであれば、それが頻繁におこなわれることはない、と説明されている。」とのジョーの談。
いくら負けても賭博を続けて行う人がいるのは、大きな歓喜を伴う、当ることへの希望が存在するからだ。幼児が母親にアイスクリームをねだるようなもので、もらえないとアイスクリームが手に入るまで泣き喚く。そのプロセスが成立すれば、その子はアイスクリームが欲しくなると泣くようになる。ジョーはそう説明する。
一方では、ゴルフ場で賭博みたいに賞金をからませるゲーム、金をはって行うカードゲーム、トーナメント等々を賭博と分類しきることができない。「そこには思わぬ幸運が得られるとしても、本人の技術やゲームを掌握する能力などが関与している。その勝負には技能が主要な役割を演じているから。」とジョーは続ける。

賭博というものはもちろん、規範という面だけでなく、適正な位置付けがなされなければならない。社会の中で賭博を消滅させるのはほとんど不可能に近いのだから。
だからこそ賭博は、マレーシアのゲンティン・ハイランド、シンガポールの競馬トト、香港でマーク・シックスと呼ばれているトトなどのように、厳しい監督下で行われるべきなのだ。「宗教の価値観は規範としての性質を持っているだけで、賭博に対する明確な制裁はない。賭博は適正な定義でコントロールされるほうが、抑圧されるよりも良い。」そうジョーは意見を述べる。
他面では、その規制とコントロールの努力が治安職員の汚職や個人利益のための贈賄を減少させるだろう。外国では、賭博ははるかにガラス張りでコントロールされ、収入のオーディットすら行われている。社会での規範をかならずしも損なう必要なしに。
ソース : 1999年5月31日付けコンパス


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『賭博捜査の難しさ』

賭博は撲滅させなければならない社会病だ。警察はもう幾度も捜査活動を繰り返しているが、何日かたつとその「闇の中の公然」なビジネスは、以前と同じ姿を見せる。多くの者がそこにかかわり、そしてまた大勢がその保全をこころみる。ジャカルタの賭博地域における警察の捜査活動に随行した本紙の体験談をお送りしよう。

4月9日午後3時、首都警察暴力犯罪ユニット第十チームの事務所のテラスはリラックスした雰囲気に包まれていた。捜査員七名とひとりのマッサージ師がタイルを貼ったコンクリートベンチに座っている。「隊長は中だ。入ったらいいよ。」腕をもませている捜査員が言った。
事務所の中には捜査員が五人。そのうちのひとりは、どこにいるのかよくわからないが出先の同僚捜査員との電話にかかりきりだ。「おまえ、もう中に入ってみたのか?絶対に開いてるんだな?」会話の中にそんな言葉が聞こえる。
「班員が賭博場の捜査に出張る。来たければついてきてもいいぞ。」
別の捜査員が潜行して見張っているその営業中の賭博場に手入れをかけるため、そこに急行させる捜査員を選抜しながら隊長はそう言う。

警察捜査の世界では、賭博と売春は賭博風紀ユニットの担当で、賭博場の手入れに出向こうとしている捜査員たちはもちろんその部門員であるのだが、実は警部の肩書きを持つ隊長と部下の班員たちはつい2ヶ月ほど前に暴力犯罪ユニットから移籍されてきたばかりだ。賭博風紀ユニット事務所も改装中のため、かれらはいまだに古巣の一部を事務所にしている。
賭博風紀ユニットの事務所は最近改装がなされたのだが、新しい首都警察の組織編成にあわせるために、また改装が必要となった。かつてすべての捜査ユニットは捜査局という単一の局の中にあったが、今はそれが三つに分かれている。一般犯罪捜査局、特殊犯罪捜査局、麻薬犯罪捜査局の三つだ。
「移籍はされているが、仕事はまだ昔のものを引き継いでる。爆弾犯を追っかけてるよ。」馴れ親しんだ職場で気持ちよくやってる捜査員のひとりはそう語る。
暴力犯罪カテゴリーの筆頭である強盗との立回りを演じる勇者として知られているほか、賭博風紀ユニットに移った捜査員たちはジャカルタとバリの爆弾事件犯人の追跡捜査も手がけている。
「もうこっちの職務に移ったので、職務分野に応じた仕事の成果も出さなきゃならん。」匿名を希望する隊長の言葉。新しい職務なので、すぐに大捕物が行われることを市民は要求しないように、とかれは注文をつける。「正直言って、賭博犯罪網の詳細をまだつかみきれていない。おまけに閉めた賭博場も数多いので。」隊長はざっくばらんだ。


これから捜査に向かうのはちっぽけな賭博場だ、と隊長は本紙に対して説明した。しかし部下たちは、かれらの動きが洩れないようにと真剣になっている。首都警察本部から出発するに際して、かれらは目くらましを使った。
「すぐ左に行くんじゃない。まず右へ行く。右へ行くとルル・ドンバがいる。ほら、いた。車は2台で行く。」班員のひとり、ナナンは言う。かれらは第十チームの事務所テラスから10メートルほど歩いたばかり。ルル・ドンバが誰のことを指しているのか、よくわからない。同じ警察官のひとりなのか、それとも首都警察へお客にやってくる民間人のひとりなのだろうか。ともあれ、そのルル・ドンバが賭博場捜査チームにとって、癪にさわる存在であるのは明らかだ。捜査に出るのをルル・ドンバにかぎつけられたら、その行動は必ず失敗するという話しだ。到着してみれば賭博場は閉まっており、賭博者の姿はなく、まして胴元も集められた金も、影も形もなくなっている。
賭博マシーンがまだ暖かく、ゲーム用コインが散らばっているというような、行われていた賭博が胴元によって突然閉められたことを物語る様子が残されていれば、まだましだ。そうであれば、警察が賭博マシーンを解体してマザーボードを抜き取る立派な理由がたとうというもの。マザーボードは賭博マシーンの心臓部で、賭博ゲームのプログラムが入っている。価格は一枚150〜250万ルピア。ミッキーマウス賭博場には一箇所当り少なくとも10台のマシーンが入っており、マザーボードが抜かれたり、壊れたりすると、胴元の損失は1,500〜2,500万ルピアになる。

胴元は代わりのマザーボードを探さなければならず、さもなければそれを押収した警察チームの情報をひそかに集めざるをえない。運がよければ、買い戻すことが可能だからだ。
もっとうまく行けば、商売を再開したとき捜査の対象にしないよう、警察と渡りをつけることができるかもしれない。なぜならこれまでのケースを見てみると、警察が押収したマザーボードの行方はどこからきてどこへ行くのか、まったく不明なのだから。さらには、手入れを受けて封印された賭博場の多くが商売を再開したり、あるいはそのオーナーが別の場所に新たに賭博場を再開しているという実態もある。
だから、上から下まで賭博の胴元と役人と社会の有力者が互いにつるみ合っていると世間が考えるのは間違っていない。つまり警察とだけ癒着しているということではないのだ。警察の手が入ってもまた再開できるという事実を見れば良い。さまざまな方面からのサポートがそれを可能にしているのである。


その日、警察の捜査が入った北ジャカルタ市プンジャリガン地区トゥルッゴン市場の店舗住宅地域にある、三部屋を使って行われていた賭博場でも同じことだったようだ。
「首都警察が一緒に手入れに加わったことをよく味わうがいい。今後はもっとやりにくくなるだろう。言うことを聞かないからだ。既に手入れを受け、もうやめろと言われたのに、こわいもの知らずでまた開けるからだ。」ナナンのチームに参加したプンジャリガン署の職員はそう語った。その賭博場は通称スディと呼ばれている中国系の者がオーナーだ。場所はパサルの中。
賭博風紀ユニットに配属されたことのある捜査員によれば、スディは必ず同じ場所で密かにビジネスを再開するだろう、と見られていたそうだ。もっと多額の上納金をもっと大勢の相手に渡し、そして時には警察の手入れを受けるというリスクもすべて承知の上で。
そのパサルの賭博場は、スディがひとかどの金持ちにのし上がる道程の発端だった。「待ってりゃいい。絶対また再開する。懲りたりなんかしない。あの場所はやつにとって幸運のお守りみたいなもんだ。あの連中はまたやらないと、ウズウズしてくるんだよ。」とプンジャリガン署職員は言う。

実に多くの方面からのサポートがその賭博場に向けられていることは、捜査の最中にも強く感じられた。捜査令状にある通り、チームの捜査ターゲットはパサル内にあるスディ所有の賭博場。つまり、チームの持っている情報はスディ所有の賭博場がそこにあるということだけ。そして警察の偵察者はその日スディの店だけが開いていることを知らせてきた。
そして何が起こったのか?チームのミニバス二台がトゥルッゴン市場店舗住宅のあるK通りに停車したとき、車の右側に賭博場があったのだ。捜査員たちが車から降りると、店の表にいたふたりの男は建物内に入り、少し開いていた扉をすぐに閉めた。その後で、店の横手にある小さい扉から突然何人もの人間が道路に飛び降りてきたではないか。男、女、年寄、若者。店の床が道路より一メートルほど高くなっていたために、飛び降りてきた人の中には転んで這いつくばる者もいる。しかしふらつきながら立ちあがると、そこから一目散に駆け去って行った。
スディ所有の賭博場捜査は、焦点が二分した。店舗住宅前の小路の先に向かって走りながら、ナナンはK通りの賭博場に踏み込め、とチームメンバーに指示を出す。
「おい、こっちもだ。ドアを見張れ。裏口も。」
捜査員二名が店の横手の扉に走る。表のドアが中から施錠されているためだ。内部を捜索した結果、コイン係りのカルティカ18歳と、「見物していただけだ。」と主張するイブラヒム32歳のふたりが捕まった。賭博をしていた6〜8人には逃げられてしまった。いったいどこへ行ったのか?
賭博者は持ち物など放り出して逃走した。バイク、ヘルメット、サンダル、靴、タバコ、ライター、あめ玉、ティシュー、缶入り飲物。店の表に整然と停められているバイク以外のものは、床やミッキーマウスの機械の上に散乱している。「あたし、オーナーは知らないわ。まだ三ヶ月しか働いてないもん。」恐怖に青ざめた顔でカルティカは言う。
正副大統領の写真の丁度上にMMの文字をデザインしたネオンを飾ってあるその賭博場には、ミッキーマウス賭博マシンが30台あった。警察はその中の11台だけ、マザーボードを外した。他は動かすのが難しいポジションにあるため、手をつけない。
地元の住民や有力者が証人として呼ばれたが、かれらはその機械が賭博行為に使われるとは知らなかった、と供述した。それどころか、かれらの中には、その賭博場内の水槽に飼われていた一匹の赤い鑑賞用『羅漢漁』がどうなるのか、と心配するしまつ。かれらには自分たちの膝元で賭博行為が行われていることを気にかける様子もない。


店舗住宅の小路に捜査員が立ち入ると、賭博場へのサポートがますます際立ってきた。住民の中に中国語で何かを叫びながら、小路の右正面がターゲットの賭博場だ、と指し示す者がある。賭博者を追ってパサルまで行ってきたナナン・チームも戻ってきて、その男が指し示した店舗住宅を目指す。実は、ナナンとかれに随行する班員数名はスディ所有の賭博場の位置をはっきり知らない。
先に偵察を行っていた捜査員二名のうちひとりはパサルまで走り、もうひとりはMM賭博場の調べに手を取られている。他のメンバーは、賭博場の見張りに面が割れていない、まだここへ来たことのない者が選ばれている。

その店舗住宅は既にしっかりと施錠されていた。捜査員たちは素手でその扉を開けようとするが、それは無論不可能。地元の住民や商人たちに鉄てこを借してくれと頼むが、だれも持っていない。隣の椰子の実商人に斧を貸してくれと頼むと、のろのろと探してから小型の斧を持ってきた。扉の鍵をやぶるのには不十分。
捜査員のひとりが運良くタイヤ交換用レンチを持っていた。賭博場の扉はついに開かれた。店内には十数台のミッキーマウス賭博マシンが置かれているが、ひとっこひとりおらず、そして機械の電気も消えている。捜査員数人が二階に上がると三階への階段が見つかり、そこを三階へ上がると、隣とつながっていることが分かった。賭博場から逃げた者が隣に隠れているかもしれない。隣との連絡扉を通って捜査員ふたりが隣に踏み込むと、そこの住人と喧嘩になった。
隣の店舗住宅に住む夫婦と息子は、「隣から誰も入ってこなかった。」と言い張る。捜査員は隣からこちら側への連絡扉が開いていたので、こちら側を捜索する権利がある、とつっぱねる。 「わしには警察の友人が一杯ある。バパ・●●●●とは親しい。ここへ来てるのは誰のチームかね。あとで訴えられるぜ、好き勝手にひとの家を手入れしたりして。強盗みたいじゃねえか。その扉は閉めて重しをしてある。下からは開けられん。わしゃ賭博ビジネスにつきあったりしておらん。」中年の男はそう語る。

最終的にナナン・チームがスディ所有の賭博場にたどり着いたとき、ドアは施錠されていた。人はひとりもおらず、しかしミッキーマウス5台はまだ電気がついたままだった。連中は消す暇さえ惜しんで逃げたもようだ。
マザーボードを外し、他のニ軒の賭博場と同じようにパサルで買ってきた新しい鎖と南京錠で扉を封印する。押収したマザーボード、捕らえたカルティカとイブラヒムを連れて、首都警察本部に帰還だ。


「スマルソノはパサルの中じゃなくて、角の店を指差した。どうも腑に落ちん。」捜査員のひとりが帰途の車内で口を開く。スディの賭博場の場所を知っているのはかれとスマルソノだけ。 「スマルソノじゃなくて、あそこの住民だ。MMが見つかったために、あいつと別れてしまった。あいつもパサルに突っ込んで行ったからなあ。」同僚が応じる。
だとしても、捜査員たちの顔は明るい。スディ所有のミッキーマウスがまだ暖かいどころか、電気がついたままの状態で手に入ったからだ。つまり今回の捜査では、出だしのところから情報洩れは一切なかったということをそれは意味している。MMと扉の閉まっていた賭博場に邪魔されていなければ、スディと賭博者たちは捕まえることができたはず、とかれらは確信している。
しかしかれらは、どうしてMMが偵察調査から免れていたのか、という分析を忘れている。そこにいた雑魚クラスの胴元や賭博者が飛んで逃げ、ターゲットのスディを連行するのに失敗したのはそのせいなのだから。
ソース : 2003年4月14日付けコンパス


▼☆◆
『街から街へ、賭博を見る』

インドネシアのあちらこちらの街では、さまざまな種類のゲームや敏捷さと賭博が結びついている。ディンドンという名のものからはじまって、ミッキーマウス、籤クーポン、ホワホエ、ふたつあるいは9つの数字当て、オトッと呼ばれるサイコロ賭博、トーゲル、キム、回転ボール、スピードボール等々々・・・。

スラバヤ
ディンドン・マシンで賭博を行おうとする者は50〜100万ルピアを持ってくる必要がある。ミニマム50個で売られているコインを1万ルピア払って買う。集めたポイント数が多ければもうけは何倍にもなり、一日で百万ルピアに達することも可能。
賭博に加われるようになるためには、新顔は何ヶ月もその場所へ通わなければならない。その賭博者は先輩たちから段階的に指導を受けるようになるため、賭博が行われている場所を一見しただけでは、そこで賭博が行われていたことを証明するのは困難だ。
スラバヤの賭博者はたいてい40代から上の年齢で、社会的バックグラウンドも中流以上。「賭博者は働いてるからみんな財布は分厚く、コインを買う資金に不足することはめったにない。」私服の治安職員が終日監視しているパサル・アトムでスピード・テストに興じていた賭博者はそう語った。

マナド
ミナハサ地方での賭博は、シンガポール・クーポン籤という形で急成長している。数ヶ月前からひとびとは、この賞金つきクーポン賭博に熱をあげるようになった。闘鶏やカードはふつう男たちのものだが、このシンガポール・クーポンは女子供から年寄りまでやっている。シンガポール・クーポンの魅力は賭け方が簡単であるのに加えて、クーポンもとても安く買える。賭け方は、クーポンに数字をふたつ書いて金をはる。1千ルピア賭けて勝ったら6万ルピアが手に入る。数字を四つ当てるものは、250ルピア賭けて勝てば62万5千ルピアの賞金。ミナハサのアムランでこの籤は週三回、いや四回も催される。日月火金曜日だ。各村にはクーポン販売のスペシャルエージェントが置かれ、エージェントの数は村の規模によってまちまち。ひとつの村に四人いるところもある。エージェントは数字が出たかどうかを大胴元に電話で尋ねる。その後、当たり数字のニュースは口伝えであっという間に広まる。ラッキーな者は翌日そのクーポンが賞金に換わる。
「シンガポール・クーポンに賭けても、何でもないわよねえ。当たったら結構じゃない。わたしゃ1千ルピア出すだけで6万ルピアももらえるんだから。数字書くだけで重労働なんかしなくていいんだもん。」とある主婦はそう言う。
言うまでもなく、胴元はりこうだ。抽籤のたびに当たり数字が出されるが、払い戻される賞金は1〜2百万ルピア程度。賭博者が減ってくると、賞金が5百万ルピアくらいの大きい当たり数字を出してくる。ひとびとはこうして、そんな巨額の賞金欲しさにまた賭けるようになる。
賭博の心地よさに酔って、多くの人々は家庭内に起こるネガティブな影響に気付かない。たった5百ルピアのクーポンのせいで、家族はバラバラになり、仕事はメチャクチャになることを心するべきだ。

スマラン
賭博は、ラパガン・シンパン・リマ東側の飲食品売店エリアの中で行われている。皮の財布やベルト商人、手相見、さまざまな種類の有毒動物から作られた皮膚病薬売りなどに混じって賭博屋も店開き。かれらは道路や公園を照らす明るい水銀灯の光を利用する。そこで開かれている賭場では、カード、ふたつまたは9つの数字のひとつを当てるもの、オトッなどが行われている。ふだんそこを縄張りにしている駐車番のサウィトの話しでは、総選挙キャンペーン前の一ヶ月間ずっと賭博が繰り広けられており、最初は一二人の胴元がはじめたところ役人が何もしないことがわかったので賭博催行者がどんどん増えていったそうだ。
ふたつの数字のひとつを当てる賭博では、数字の2と6の一方を選ぶ。胴元は百ルピアコインに似た、両側に2と6という数字がそれぞれ記されたコインを小さい板の上で回し、そして、茶碗または空き瓶を切ったものをその回転しているコインの上からかぶせる。茶碗を開けたときにコインの上面にある数字を当てた者は、張った金額の二倍が戻ってくる。「1千ルピアはって当たれば、2千ルピアもらえる。」とひとりの賭博者が説明してくれた。
ほとんどすべての胴元は善良なる市民ではない。かれらの前歴はすり、用心棒、ごろつきなどで、縄張りから収入が上がらなくなって失職した者たちだ。かれらはボスに雇われて、賭博催行の元手を与えられる。「たしか、ひとつの賭博にボスは35〜50万ルピアの資金を出すと思ったが・・・」警備員のひとりはそう話してくれた。

メダン
ホワホエ、キム、トーゲルなどの賭博は、SDSB(賞金付き社会寄金)認可が1995年に廃止されて以来盛んになった。メダンでそれらの賭博は飯屋、ワルンやキオスなどの売店で見つけることができる。たとえそれらが官公庁内にあるものであっても。それら三種の賭博は、シマルグン、プマタンシアンタル、トゥビンティンギ、ビンジャイ、アサハン、ランカッ、タンジュンバライなどから南タパヌリやニアス諸島にいたるまで、北スマトラ州全域で見ることができる。
パハラワン通り地区でインタビューした書き役のひとりは、クーポン販売の売上の25%を得ていると語った。10枚入りのクーポンつづり一冊を毎日少なくとも5冊は売る。「計算するとわしゃ毎日5万ルピアの収入を得ていることになる。」という匿名を希望するその書き役の談。
かれは更に続けて、エージェントのほうは胴元から固定給を得ていると語った。エージェントの給料は、担当地区の書き役の数に応じて異なっているそうだ。そしてまた、同じ地区にエージェントが二三人いるということも起こり得る。「わしの知ってる範囲じゃあ、エージェントの収入は一日30〜40万ルピアになる。エージェントになりたくない者なんかいるわけがない。でもなれるのは胴元のボスの手の者か、あるいは役人だけ。」だそうだ。
「エージェントや書き役が金を持ち逃げする心配はないのか?」との記者の質問に、「賭博の胴元はメダンのやくざもんのボスじゃねえか。金を持ち逃げすりゃあ、かならずボスの手下のお迎えが来らあ。そんな度胸はだれにもねえよ。ましてやエージェントや書き役は高給をもらってんだから。」マルガはシレガルだというベチャ引きが答えた。
メダンにおけるクーポン販売の売上は毎日3〜4億ルピア、あるいはそれ以上かもしれない。地方部での売上はそれとはまた別だ。エージェントたちは、売上は一日で10億になる、と話している。だがそれがすべて胴元の懐に納まるのではない。治安機構をはじめとする諸政府機関や新聞記者などに、その一部は上納金として流れている。

パレンバン
ホワホエは白クーポンと呼ばれ、とても慎重に流通させられている。ある胴元の経営する白クーポン組織は十人ほどで成っており、『足』と呼ばれるエージェントたちがその組織に使われている。足が持つ子分たちが賭博者と直接接触し、足は張られた内容や金を集めると胴元に納める。
白クーポンにかけられる金額は5百ルピアから5万ルピアまでさまざま。数字ふたつを当てれば35倍、三つ当てれば3百倍、四つ当てれば2千5百倍が戻ってくる。胴元と足をつないでいるのは信頼関係と電話だけ。大きな金額を賭博者が当てると、胴元はしばしば賞金支払いを逃れようとする。パレンバンでよく耳にするのは、胴元にほっかむりされて勝った賞金が手に入らなくなり、怒り狂う賭博者の話し。こうなると、その賭博者の賭けを受けた足の子分が追い掛け回されることになる。
白クーポンの流通に障害が起こらないよう、胴元は地元の警察や国軍地方行政管理司令部の中堅レベルとの関係を育んでいる。上納金は1〜2百万ルピア程度だ。

バンダルランプン
社会の人気を集めているのはトーゲル。トーゲルのクーポンは、バンブクニン、カンクン、トゥグなど旧市場の隅や、タンジュンカラン商店街地区の寂れた小路などで手に入る。またスカラジャ、パンジャンなどのバスターミナルやラジャバサ・メインターミナルなどでも買える。クーポン一枚の値段は1千から1千5百ルピアで、抽籤は日月火土曜日に行われる。当たり数字はシンガポールから拾われるが、トーゲル常習者たちがこれをトト・シンガと呼んでいるのはそのためだろう。
「クーポンが多いほど、当たるチャンスは大きい。ふたつ数字が当たったら7万ルピア、三つ当たれば40万ルピア、四つだと250万ルピア胴元から賞金がもらえる。」賭博常習者ジョンソンはそう言う。
自分の収入は1千5百万から2千万ルピアだと自認するカリアウィの小胴元のひとりファハミは、「警察をはじめ法執行者たちに捕まるリスクはあっても、チャレンジしがいのある仕事だ。」と語る。リスクはあっても収入が大きいのでやめられない。かれはバンダルランプンにいる数十人の小胴元のひとりだが、かれ自身、仲間の住所を教える気は毛頭持っていない。大胴元もバンダルランプンにいるそうだ。「大胴元とエージェントの関係は電話だけ。その後クーポンは、どこか約束した場所へ届けられる。だとしても、警察にしろ誰に尋ねられても、大胴元の住所を教えたりは決してしない。」ファハミはそう語っている。

バンドン
スディルマン通り、ガルドゥジャティ通り、ブラガ通り、バンチュイ通りなどに散らばるナイトスポット訪問者の数と、賭博場への訪問者の数は多分正比例している。ほとんど毎晩、その地区にある十軒の賭博場の前はキジャンからBMWやベンツに至るさまざまな車であふれており、またそこへやってくる来訪者を送り迎えするタクシーの往来も盛ん。
バンドンの賭博者と胴元は二種類に分かれている。そのひとつは非公認シンジケートの中に組み込まれているにせよ、公的認可を得た賭博場を持つ公認の胴元だ。かれらは上述の四地区にたいてい独自の場所を持っている。客は中流以上の階層で、マネージャーや自営業者。かれらは賭博場へ出入りするのに、警察の手入れを恐れたり、あるいは気恥ずかしさを感じたりする必要がない。
もうひとつは不法賭博者と胴元で、こちらのほうは胴元・賭博者と警察の間でかくれんぼや追いかけっこをしているようなもの。賭博の客は中流から下の階層だ。名前は白クーポンと呼ばれており、胴元やサブエージェントはある一地区に集中することなく、いくつかの地域に広く散らばっており、足取りを追うのは難しい。バンドンの賭博場のメカニズムとその活動はいくつかの種類に分かれている。スピードボール、ミッキーマウス、あるいはルーレットやバカラなどのカジノゲーム。スピードボールは電子マシンとモニタースクリーンを使い、プレーヤーはスクリーンの前に座って決められたポイントを獲得するようボタンを押して遊ぶ。
匿名希望のとある胴元は、マシン2百台と従業員50人規模のビジネスを始めるのに最低20億ルピアの投資が必要だ、と説明した。建物やマシンへの投資に10億ルピア、残る10億ルピアはコーディネート費と呼ばれるものに使われる。「認可の費用と治安職員に対するネゴ費用だ。」軍のいくつかのユニットや関係する官庁の名前をあげながら、かれはそのように語った。
ソース : 1999年5月31日付けコンパス