「スラバヤの戦闘(21)」(2016年12月08日)

スラバヤでの戦闘を止めるためにジャカルタからスラバヤへ飛んだのは、スカルノとハッ
タ、そしてアミール・シャリフディンの三人だった。三人が戦闘停止を呼びかけながら市
内を巡回しているとき、武装市民グループのひとつを率いているスマルソノが道路の中央
に立ち、やってくるスカルノの一行を止めた。スマルソノが問いかける。
「ブン、われわれはもうすぐイギリス軍を打ち負かす。どうしてこの戦いを停めようとす
るのか?」

スカルノは一行の中にいるアミール・シャリフディンを呼んでスマルソノの扱いをまかせ
た。スマルソノはアミール・シャリフディンが統率しているインドネシア民衆運動(グリ
ンド)の幹部のひとりだ。思いがけなく登場した自分が心服する指導者に諭されて、スマ
ルソノは停戦に応じた。

「これはジャカルタのみんなが同意していることだ。われわれは戦争に勝たねばならない。
戦闘に勝つことが目的ではないのだ。」アミール・シャリフディンはそうスマルソノを諭
した。
スマルソノは一行をラジオ局RRIに案内してスカルノの停戦スピーチを放送するのに協
力した。

だが、その後の展開からスカルノは、自分が利用されただけだったことを覚る。かれは後
に「あの狡猾なイギリス人をいったいどうやって好きになれと言うのか?」と語っている。


マラビー准将の死はAFNEI軍司令部の態度を硬化させた。司令部は急遽イギリスイン
ド軍第5師団所属の第9および第123旅団兵員2万3千人を完全装備でスラバヤへ送り
込み、シャーマン戦車24台、軍用機24機、巡洋艦2隻、駆逐艦3隻を投入して、マン
サーグ少将に指揮をゆだねた。

戦闘態勢を完備させた上で、イギリス軍はスラバヤの武装インドネシア人に最後通牒を発
した。1945年11月9日18時までに投降し、すべての武器を提出せよ。またマラビ
ー准将殺害者も引き渡せ。この要求に従わなければ、当方は11月10日6時をもって総
攻撃を開始する。


スカルノの回想は続く。
「マラビー准将は部下から嫌われていた。だから、かれの死の原因を作ったのがどちらの
側だったのか、結局は解明されていない。だがイギリス人はスラバヤを完全制圧するため
に、その事件を利用した。スラバヤの民衆に対して無条件降伏を要求したのだ。

停戦の呼びかけに従順に従ったわが民衆に対して、その場で武器を置き、百メートル離れ
た場所に集合し、それから両手を頭に置いて投降せよと命じた。なんという侮辱だろうか。
それによって、かつてインドネシアで起こったもっとも凄まじい戦闘が誘発されたのであ
る。[ 続く ]