「スラバヤ・スー(13)」(2017年01月10日)

翌日はタントリにとって忙しい日になった。スラバヤにある国際社会に、スラバヤで何が
現実に起こっているのかを示すのだ。そして、デンマーク・スイス・ソ連・スエーデンの
外交官やその他世界各国の通商代表を説得して、イギリス軍が行っている軍事行動を非難
する言葉を叛乱ラジオ局の夜の放送の中で語ってもらおうというのだ。
その企画は世界中に大きな反響を巻き起こした。タントリの放送を傍受した国のラジオ局
がそのときの放送内容を自国内聴衆に向けて放送し、その放送内容が更に新聞雑誌に掲載
されるという副次効果をもたらした。

叛乱ラジオ局のスタジオを訪れた各国代表者はタントリのインタビューに答えてスラバヤ
で起こっている事実を物語った。そしてそれを行っているのはだれか、ということがらに
話が及ぶと、さまざまなイギリス非難の言葉がかれらの口をついた。もっとも鋭い非難の
言葉は、白系ロシア人の口から出された。


医師との約束通り、その翌日スラバヤ市内のブントモの家に設けられた叛乱ラジオ局は閉
鎖され、ラジオ機材は寂れた地区にある一軒の家に隠し、タントリと同僚たちはジープで
バギルに向かった。三人の兵士が護衛した。そして、叛乱ラジオ局は場所を移して再開さ
れた。

ブントモはマランの秘密スタジオからスラバヤ民衆の心の火に油を注ぐスピーチを流し続
けたが、週に二回ほどバギルのスタジオにやってきて、そこから放送を行った。


この時期、ジャカルタとバンドンは全域がAFNEI軍に掌握されてしまっており、ジャ
カルタとバンドンの私設ラジオ局はNICAのプロパガンダを熱心に全国に流していた。
一方共和国が掌握している地域では、ヨグヤカルタとソロにインドネシア共和国の国営ラ
ジオ局RRIがあって放送活動を行っているが、スラバヤのRRIは爆撃で破壊されてし
まい、当面使い物にならないありさまだ。

叛乱ラジオ局は私設ラジオであり、東ジャワのあちこちに分室を設けて放送活動を行って
いる。RRIのような公共性に縛られる必要がなく、スラバヤの戦闘を支援するという、
もっと直接的な機能を果たしていた。

バギルの叛乱ラジオ局スタジオでは毎晩、英語やインドネシア語の放送電波が空中を飛ん
だが、放送が終わるとみんなはジャカルタやバンドンの私設ラジオ局が流す放送に耳を傾
けた。宣伝合戦に虚偽情報はつきものであり、敵の虚偽情報にはそれを否定する対抗情報
を流さなければ、民衆の中に欺かれて間違った行動に走る者が出ないともかぎらない。タ
ントリは特にその点に深い配慮を欠かさなかった。[ 続く ]