「diaとia」(2017年01月13日)

ライター: スエーデン語インドネシア語辞典編者、アンドレ・ムレン
ソース: 2008年5月9日付けコンパス紙

一部のインドネシア人作家がdiaとiaの語をジェンダーにもとづいて区別しようとしてい
ることに、わたしは最近になってやっと気付いた。diaは男性で、女性にはiaを使うとい
うのがかれらのアイデアだ。iaはまた物にも使われるが、diaは人間(および動物?)に
使われる。この区別によってインドネシア語は三人称代名詞にふたつ(あるいはそれ以
上)の単語を持っている西洋語やアラブ語に近いものになり、たいへん便利で役に立つと
いう話なのだが・・・

わたしはそのアイデアに疑問を感じる。インドネシア語の変革者たちはなぜヌサンタラの
外から形式やパターンを探してこなければならないのだろうか?わたしの知っているかぎ
りでは、その区別はインドネシアの地方語の中に存在しないし、国語の中にも設けられた
ことが一度もない。だったら、その次には何をしようと言うのだろうか?他の文法パター
ンを輸入するのだろうか?インドネシア語の動詞には時制がない。そこにドイツ語や英語
のように時制変化を持ち込もうというのか?たとえばmelihatの過去形をmelihatedにしよ
うとでも?とても納得できるものではない。


スエーデン語にも、納得しづらい逆方向のアイデアが出されている。言語変革者たちは女
性三人称代名詞のhonと男性三人称代名詞のhanを合体させてhenという新語を作り、性別
をなくしてその一語にまとめようと提案している。物に対して使われるdenとdetをすら、
その一語で代表させようとする意向なのかどうかはまだ分からないが。スエーデン語文法
にはジェンダーの区別がないのだから、honとhanの使用をやめることは、スエーデンのジ
ェンダー対等を大いに前進させることになるという理由まで添えられている。

インドネシア共和国国語センター編纂のKBBIによれば、「diaは会話の中での話者と
対話者とは異なる単数人称として使われ、iaはそのシノニムである」となっている。iaに
ついての語義も同様だが、こちらにはもうひとつ別の説明があり、「話題にされている物
を指す」のに使われることもある。そこに、ジェンダーの違いに言及する説明はまったく
見られない。わたしは希望すると同時に確信もしているのだが、KBBIがその姿勢を変
えることは万に一つもないだろう。ただわたしがKBBIを調べて不審を感じたのは、物
を指す場合にdiaは使われないのか、ということだ。本当にそうなのだろうか?


このグローバリゼーション時代にあらゆる言語は相互に接近し、模倣し、お手本にし合う
べきなのかどうかを、われわれはみんな自問自答するべきではあるまいか?世界にある5
千種の言語の半分はこの21世紀に滅亡の危機に直面しているそうだし、その中にはイン
ドネシアにあるものも含まれている。弱小言語だけが直面しているのでなく、ジャワ語の
ような勢力あるものさえその危機から完璧に無縁であるとは言えないとマカッサル国立大
学のザイヌディン・タハ氏は語っている。

このグローバル世界で言語の多様性が存続するために諸言語は;
1.多数の人間に使用されること
2.ユニークさが維持されること
3.その言語は語彙と文法に不足がないという自信を持つこと
を忘れてはならない。言語は模倣なしでも進歩するし、お手本に倣わなくとも発展するこ
とができる。

最後に、インドネシア語とスエーデン語の言語変革者たちを集めて言語セミナーを開催す
るようわたしは提案したい。第一のトピックは言うまでもなくdiaだ。喧々諤々の議論が
展開されるにちがいない。