「女性ウラマ(前)」(2017年07月11日)

2017年4月25〜27日、西ジャワ州チレボンでインドネシア女性ウラマ会議第一回
が開催された。イスラム教が女性のウラマを認めているという事実を納得できるひとは少
ないかもしれない。だがイスラム教が興った当初から、女性ウラマは活躍していた。預言
者ムハンマッの友人たち160人に神への礼拝の言葉を指導したアイシャ・ビンティ・ア
ブバカル、聡明さと豊かなイスラム知識で知られた預言者ムハンマッの曾孫サイダ・ナフ
ィサなどはイスラム草創期の女性ウラマだった。サイダはイマム・アルシャフィイやイマ
ム・アフマッ・ビン・ハンバルの師となった。スーフィーの巨星イブン・アラビは、ファ
クル・アルニサ、クッラ・アライン、サイダ・ニズハムら三人の女性ウラマたちから多く
の学識を吸収した。

インドネシア国内にもジェンダー対等と女性の進歩について多くの著作を世に出したパダ
ンパンジャンのラフマ・エルユヌシア、ジョンバンのニャイ・ハイリヤ、アチェのトゥン
ク・ファキナやスルタナ・サフィアトゥディン、バンジャルマシンのファティマたちがい
る。そしてデウィ・サルティカやRAカルティ二など社会的な女性の地位を改善するべく
活動したひとびとも女性ウラマだ。


ウラマ(ulama)というのはイスラムにおける知識人を意味するアリム(alim)の複数形であ
る。一般のひとより深く知識をきわめた者がアリムであり、分野は問わない。ところが過
去に人類が体験した宗教絶対の時代には、あらゆるものごとが宗教原理に結び付けて解釈
され、森羅万象の分析がそのロジックの上に構築された。科学が否定されていた暗黒の時
代だ。

だからつまりは、地理であれ天文学であれ、はたまた農業であれ牧畜であれ、人間がその
分野で触れる天然自然の現象が宗教教義に基づいて解釈されなければならないことになる。
それができる人間というのは、その分野の自然現象の理解以上に、その現象を分析するた
めの宗教教義の知識と理解が必要になって来るわけだ。ウラマを文字通りの語義でなく、
イスラム教の知識と理解を一般大衆より高いレベルで修得した者という意味に結び付けて
いる語義の裏側には、そういうメカニズムが存在している。だからいわゆるイスラム学者
という日本語が呼び起こすイメージとは異なって、もっとはるかに一般大衆の日常生活に
密着している生活指導員という趣が強い。

イスラム暦元年が西暦622年であり、イスラム世界が当時の宗教絶対の時代を今日まで
維持継続していることは知らぬ人とてない現実だ。地球が平板であるというアナクロニズ
ムがソーシャルメディアの上を飛び交っているのも、その時代を維持しようとする志向の
表れである。だから今日のイスラム世界におけるウラマという存在の役割が何であるのか
は、言うまでもないことだろう。[ 続く ]