「ブローラの旅(前)」(2017年11月02日)

ブローラ(Blora)の地名を聞くと、ひとはチーク林を思い浮かべる。石灰質の土と乾燥し
た気候が植民地政庁に高価な樹木を植えさせたようだ。チークの木が整然と植えられた奥
深い森林は、降りてくる夜の帳の下で、一層暗い空間を作り出している。一点の灯りも見
えず、あたかもそこには不可思議な異界が口を開いているかのようだ。

地元民の間でチーク林に関わるさまざまな伝説が語り継がれるのも無理はない。中には現
代伝説さえ、そこに混じる。トダナン(Todanan)で地元民が語るのは4年前の話だ。

乗合バスとトラックがそれぞれ一台、チーク林を割って走る街道に乗り入れた。その二台
はたまたまそこを前後して走っただけであり、互いに関係がない。走っているうちに、運
転手もバスの乗客たちも眠気がさしてきた。そしてみんなが眠りに落ちてしまう。

翌朝、朝陽とともにみんなが目覚めた。そして驚いた。車はなんと、チーク林の真っただ
中に止まっているのだ。そして周囲を見回して、みんなは更に驚いた。二台の車はチーク
の巨木の間にいるのだが、車体がこすったり倒した木は一本もない。バスとトラックの運
転手も、車をどうやってそこまで運転して行ったのか、何一つ記憶がないと言う。まるで
巨大な手が街道を走る二台の車をつまみあげ、チーク林の中のその場所に置いたとしか思
えない。

事件の知らせは近隣の村々に飛び、地元民が集まって来た。ともかく車を街道まで戻さな
ければならない。車が通れるスペースを作るために、チークの木を何本か切り倒さなけれ
ばならなかったそうだ。


ブローラ県の広さは1,821平方キロメートルで、その48%がチーク林になっている。
チーク林の土地と樹木は森林公社プルフタニが管理しており、地元民が無許可で手を触れ
ることは禁じられている。チーク林の外縁に住んでいるひとびとは主に貧困者だ。

ブローラ県は中部ジャワ州にあり、東ジャワ州との州境をなしている。ジャカルタからブ
ローラへ行くには、飛行機でスマランまで行き、そこからおよそ三時間の路上走行となる。
パティ(Pati)を経由して北岸街道伝いに行くか、中央道を通ってプルウオダディ(Purwoda-
di)やグロボガン(Grobogan)を経由して行くか。さもなくば飛行機でスラバヤまで飛んで、
西向きに引き返すかだ。北外街道沿いに4〜5時間の道程となる。別の行き方はジャカル
タから長距離列車を使い、チュプ(Cepu)で降りる。

ブローラはジャワの歴史を秘めた場所だ。チュプ郡ジパン(Jipang)村はアルヤ・プナンサ
ンがブパティに封じられていたカディパテンであり、ドゥマッ(Demak)王朝の王権がパジ
ャンを経てマタラムに移っていく変遷の根源をなした。
去る6月末にコンパス紙記者がブローラに旅した。そのときの旅行記がこれだ。

14時:ブローラの町からチーク林の中を通る州道をチュプに向かって走る。お目当ては
グロラム村の食堂ワルン「パッ・パガッ(Pak Pangat)」のオポルアヤム。地元では評判の
メニューであり、これを外しては肩身が狭い。このワルンは事前予約が必要なので、電話
を一本入れておく。そうしないと食べ逃してしまうことになる。

16時半: サンボン郡ルドッ村(Desa Ledok, Kecamatan Sambong)で古い油井を見学。
215の古い油井がプルフタニの管理する保護林の中にある。この油田は16世紀に発見
されたそうだ。失われたパジャン王国の宝器を探していたパゲラン・ジャティ・クスモが
その地まで来て夕方になった。マグリブの礼拝をするためにかれは持っていた杖を地面に
刺した。礼拝を終えたかれが杖を地面から引き抜いたとき、油が地面から湧きだしてきた
そうだ。[ 続く ]