「インドネシアを理解する」(2017年11月02日)

ライター: コンパス紙記者、アグネス・アリスティアリニ
ソース: 2017年10月25日付けコンパス紙 "Memahami Negeri Sendiri"

1万7千を超える島々、6百を超える言語や種族と多様な慣習で構成されるインドネシア
は、地球上でもっともプルーラルな国である。ところが単一主義的な国家と民族のアイデ
ンティティイメージがわれわれを容易に欺いてくれる。わが民族の多様性を認識するため
の知識が常に現代化や開発といった単一の指標で曇らされているのだ。

というのが社会表象研究センターが分析したわが国の実態だ。2008年創立の社会表象
研究センターは国際ネットワーク内の7機関のひとつであり、複雑な社会現象を理解する
ことに特化した研究機関である。
「社会表象はわれわれが社会思考から源泉を理解することを可能にする。」と社会表象研
究センター発起人で理事のリサ・プルマナデリ氏は語る。

リサによれば、プルーラル国家でプルーラル民族のインドネシアは、思考バリエーション
においてもプルーラルだそうだ。国家政治と民族政治の中にそのことがらが採り上げられ
ることはなかった。数百年のオランダ植民地支配の影響がいまだに継続し、政府はヨーロ
ッパのような単一民族国家を志向している。単一人種、単一宗教、単一言語だ。「開発政
策が単一というパースペクティブで実施されるとき、民族の分裂が発生する。」とリサは
言う。


オランダ植民地時代を通して継続した単一主義はオルバレジームが32年間にも渡って維
持し続けた。その一例は、ヌサンタラの全土をジャワ型の統治構造に従ってdusun - desa 
- kelurahan - kecamatan - kabupaten という行政区画方式に塗り替えたことだ。それに
よって、各地の慣習的統治構造がその犠牲になった。西スマトラ州のナガリ(Nagari)のよ
うに。

scholar.unand.ac.idのサイトはナガリについて、血縁システムとミナンカバウ社会の統
治システムにもとづいてひとりのプンフル(penghulu)が統率する集落の集合体であると説
明している。ナガリは丘・川・森といった自然地形によって領域が形成される。政府が行
政区画でその領域を分割し、プンフルがルラ(lurah)とその補佐機関に変わったとき、も
ともとの領域が持っていた境界線が曖昧になって行った。他の地方でも同じような状況が
起こった。アチェのガンポン(Gampong)、タパヌリのフタ(Huta)やナゴリ(Nagori)、バリ
のバンジャル(Banjar)、北スラウェシのワヌア(Wanua)などがそれだ。

オルバの単一主義はそれどころか、もともとヌサンタラでたいへんバラエティに富んでい
た主食すら変化させた。サゴ・トウモロコシ・キャッサバ・芋などそれぞれが各地で食糧
自給の一翼を担ってきた食材を米という単一食材に移行させたのである。それによって、
米の生育にあまり適していないインドネシア東部地域で米の価格があまりにも高くなった
ために、その地方を主体にして食糧不足や飢餓水腫といった現象が引き起こされるように
なった。


熱を帯びたジャカルタ都知事選挙において、プルーラリズム精神はアイデンティティ対立
方針によって引き裂かれた。宗教と血統の違いが言い立てられたのだ。しかしインドネシ
ア人の先祖は四つの移住の波に乗ってやってきたのが事実なのである。アフリカ、アジア
大陸(その根はやはりアフリカだ)、台湾、そして最後は西からアラブ・インド・ヨーロ
ッパ、東から華人の船乗りたちが渡来してきた。「遺伝子学的には、自分がもっともプリ
ブミであるというアスリインドネシアの主張ができる人間は存在しない。」とエイクマン
分子生物学研究所のヘラワティ・スドヨ遺伝子学教授は述べている。

教授は更に、ヒンドゥ教・仏教・イスラム教・キリスト教(新教)・カソリック教などの
諸宗教をその第四の波がもたらしたことでアイデンティティの違いが生まれた点を指摘し
ている。それらの宗教は何千年もの間ヌサンタラに生き続けてきたローカル信仰と出会い、
そしてオランダの分割統治方針による支配で、プリブミと渡来者というコンセプトの出現
を含めた差異に対する意識が先鋭化されて行った。

既述のような村・米・宗教・人種などへの単一主義的アプローチは、違いを重視する社会
的偏見を生み、果ては暴力に至る。この国を理解するために、そして同時に単一主義的イ
シューを邪悪な目的に使うのをやめさせるために、社会表象パースペクティブがそこで役
割を果たすのである。