「仲良き事は美しい」(2018年01月12日)

2017年7月3日付けコンパス紙への投書"Rukun Agawe Sentosa"から
拝啓、編集部殿。つい最近終わったばかりのラマダンとイドゥルフィトリが民族統一を強
化する国民間の接着剤となることをわたしは切に希望しています。というのも、自分が絶
対的に正しく、そしてその自分を信奉する支持集団が自分の号令で動かせると思っている
政治エリートのせいで、国民間の諸勢力の間での衝突の懸念が最近とみに高まっていると
感じられるからです。

パンチャシラ国家原理をいじくりまわして別のものに変えるようなことは、まったく捨て
置けない行為です。国会は反テロ法の成立を急ぎ、その決着を早急にもたらさなければな
りません。国民の理解できないような理由をあげて、それをおろそかにしていてはいけな
いのです。

意識するかしないかはさておき、ラディカリズムの広まりはパンチャシラ国家原理が理解
されていないのが原因でしょう。パンチャシラによって国民はゴトンロヨンを行い、互い
に扶け合って福祉・公正・繁栄のある社会を目指すことができるのです。

数限りない問題の遺産を背負わされている現政府だけを責めるのは当たりません。オルデ
バル期以来、貧富の階層分離は激化し、中でも高い塀に囲まれた高級住宅地が建設されて
周辺社会から隔離されるようなことが普通になりました。

住宅地内の子供たちは最寄りの学校へ行かず、遠くの優良学校へ行くのですから、そのよ
うな有様は社会妬視を育む結果をもたらします。教育文化省が統括する一般学校と、宗教
省が監督する宗教ベースの学校という二本立て制度も、問題を複雑にしている別の要因で
す。幼児教育・幼稚園・小学校・中学校・高校というすべての学校を教育文化省が一律で
統括するのが良いのではありませんか?

国民の間で異なる意見のコンフリクトが起こるのを防ぐために、すべてのレベルの教育機
関で道徳教育と地元地方の伝統的叡智を教えることに重点が置かれるべきです。幼児教育
・幼稚園・小学校三年生までは地元の地方語で教育がなされるべきではないでしょうか。
各地方文化の中には徳育に関する内容がたいへん豊富に備わっているのですから。

道徳教育と地元地方の伝統的叡智は、ゴトンロヨン・相互扶助・種族宗教人種階層の異な
るコミュニティ外人間と併存する寛容性を教えるパンチャシラを反映しているのです。

この老人からの結びの言葉として、わたしはミレニアル世代が「Rukun Agawe Sentosa」
を実践する真のパンチャシラ人間になるように望んでいます。ムルデカ!
[ タシッマラヤ在住、スラムッ・カルトスマルト ]

訳注:「Crah Agawe Bubrah, Rukun Agawe Sentosa」とは「自分のことを優先すれば世の
中は崩壊し、互いに他人のことを思いやっていれば確固とした安寧が社会に満ちる。」と
いう意味のジャワ語の格言。