「ガウル(4)」(2018年01月22日)

バハサプロケムの造語法は、耳になじみやすい言葉、愉快で面白い言葉、意表を突く言葉、
頭をひとひねりさせる言葉、といったゲーム的要素に満ちたさまざまなテクニックを伴う
造語法へと豊かさを増して行ったのである。

その現象の実践形態は、インターネットの普及によるソーシャルメディアという媒体が恰
好のステージを提供することになった。バハサガウルはソーシャルメディアあっての社会
現象と言うことができるにちがいない。


さてそのガウル(gaul)というインドネシア語だが、1990年代終わりごろ以降にバハサ
ガウル(bahasa gaul)、アナッガウル(anak gaul)、ガウルバガッ(gaul banget)、クーラ
ンガウル(kurang gaul)などという表現が一般化するまで、ガウルという基語がそのまま
使われる例にわれわれはほとんど遭遇したことがなかったから、わたし個人はそんな状況
の変化に戸惑ってしまった。

それまでわれわれの耳目に触れていたのは「bergaul」や「pergaulan」という言葉であり、
「gaul」という語の用法が「bergaul」や「pergaulan」を通して意識内にできあがってい
る語体験とのズレを感じさせたことに起因する戸惑いがその原因だったのである。

KBBIに「gaul」は動詞campurと説明されている。ちなみに「bergaul」は動詞hidup 
berteman (bersahabat)と説明されている。

「campur」の語義は動詞で三つあり、1.「berkumpul (beraduk, berbaur, berkacau) men-
jadi satu」、2.「berkumpul; bersama-sama」、3.「bersetubuh; bersanggama」となっ
ている。

このテーマにおける「gaul」の語義にもっとも近いものとして「berkumpul; ber-
sama-sama」や「berbaur」が最右翼だと思われるので、「berbaur」をKBBIで調べる
と、語義は四つ出てくる。
1. bercampur
2. bergaul (dengan)
3. hidup sebagai suami istri
4. larut


インドネシア語サイトで「gaul」の説明を調べると、「arti gaul itu adalah hidup ber-
teman atau bersahabat. Jadi, dapat disimpulkan bahwa anak gaul adalah anak yang 
hidup berteman.」という解釈が見つかる。それだと「gaul」と「bergaul」が同義である
ということになるのだが、実際の使われ方を見る限り、同義の用例にはほとんどお目にか
からない。少なくとも、「bergaul」は「交際する」や「付き合う」といった日本語に対
応しているが、「gaul」そのものの語義はもう一歩突っ込んだ「交際上手な」「付き合い
好きな」といった日本語に対応しているように感じられるケースが少なからずある。

他の用例では、「話がわかる」「気持ちが通じる」「はやりすたりをキープしている」
「ピッタリとフォローしてくる」「一歩退くようなところがない」というような意味で使
われているものがあり、また「kurang gaul」の場合は単に「付き合いの悪い」「社交性
に欠ける」という意味ばかりか、「孤高の雰囲気を示したり」「仲間の挙動をクールな目
で見たり」というような、感情的な一体感を興ざめさせるような態度についても使われる
ようだ。[ 続く ]