「国語を大切に」(2018年02月27日)

2017年10月30日付けコンパス紙への投書"Menjaga Bahasa"から
拝啓、編集部殿。10月は国語月間とされています。これはもちろん毎年10月28日に
記念される青年の誓いに関連しているのです。だからといって、10月以外は国語のこと
を気にしなくてよいということにはなりません。

もし青年の誓いを踏まえるとするなら、インドネシア語は公式に89年間使われているこ
とになります。だから正しく良いインドネシア語を使おうというスローガンになるのです。
パプアの地元民が家庭の中でインドネシア語を使うことはありえませんし、他の種族も同
じです。一般的に、かれらは地元の日常言語を使っています。

大統領・知事・県令などの公職高官は違います。国家の公用語はインドネシア語であると
定めた1945年憲法第36条1項に従って、かれらは国の公式言語を使わなければなり
ません。話し言葉ばかりか、書き言葉も一語一語が文法に則した正しいものでなければな
りません。

ところが、すべての政府機関で高官のスピーチ原稿が国語専門家によって添削されている
わけでないように思われます。


ジョコウィ大統領がテレビで全国民に対し、イドゥルフィトリの祝辞を述べました。
「Selamat hari raya Idul Fitri」という言葉がそれでした。国語庁によれば、大統領の
その言葉は的確さを欠いていると言うのです。イドゥルフィトリがハリラヤであるのは分
かり切ったことなのだから、わざわざその言葉を言う必要はなく、「Selamat Idul Fitri」
が正しくて良い表現とのことでした。

大臣・知事・局長も同じです。ヨハナ・イェンビセ女性活性化児童保護大臣がプカンバル
で児童の日を記念する式典のスピーチを行ったときにこんな言葉が語られました。
"Kita menyampaikan beribu-ribu terima kasih yang sebanyak-banyaknya kepada..."
beribu-ribu terima kasihと述べているのに、どうしてsebanyak-banyakがまた語られる
必要があるのでしょうか?非効率です。

外国語に関してはどうなのか?これはもっとひどい。外国語の術語や単語を使う傾向は留
めようがないほどです。われわれの国語にdibagiという言葉があるにもかかわらず、di-
shareと言うのですから。daerah tujuan wisataという言葉で十分なのに、destinasi 
wisataです。up date, posting, like がそれに上乗せです。同義語のたいへん豊富なわ
れわれの国語が、外国語に負けるはずがあるでしょうか?

言葉を含む自国文化に対する民族的な愛は民族性を強固なものにします。強固な民族は容
易なことでは動揺しません。ヨーロッパの諸民族、特にイギリスを見てください。かれら
の言語である英語は世界中で使われているのです。

手遅れになる前に、インドネシア語をもっと大切にしましょう。各政府機関は国語専門家
を活用して、高官のスピーチ原稿が言葉の決まりから逸脱しないような配慮を励行するべ
きです。[ プカンバル在住、パンドゥ・シャイフル ]