「シャープ アンド リライアブル」(2018年03月06日) ライター: 、サロモ・シマヌンカリッ ソース: 2008年2月8日付けコンパス紙 "Tajam Tepercaya" ある一事だけのために、わたしはあるテレビ局の番組を見るのに腰が重い。ましてや報道 内容などを。どうして見る気が起こらないのか、だって?「Tajam Terpercaya」などとい うスローガンを報道する記事にはためかせているのだから。 どうして信頼などできようか?基本的な文法規則さえ意識されていないのだ。昨今の諸マ スメディアでは、記者からプロデューサーまで少なくとも大卒ではなかったろうか。一方、 インドネシア語の基語に接頭辞ber-, ter-が付いた場合の語形成法則は高校教材なのであ る。 その法則のひとつに、基語の第一音節が/er/で終わるものにber-,ter-が付けば、接頭辞 ber-, ter-はbe-, te-に変化するというものがある。berkerjaか、それともbekerjaか? berpergianか、あるいはbepergianか?bersertaそれともbeserta? 今日び、うかうかとbekerja, bepergian, besertaを見逃す者などあるまいに。それらの 基語は「ker-ja」「per-gi」「ser-ta」とそれぞれの第一音節が/er/で終わっているから、 そう選択して当然なのである。 terbersitか、それともtebersitか?tercerminか、あるいはtecermin?terpergokそれと もtepergok? 全員が同向同舟でなくなってきたのではあるまいか?それは容易に説明がつく。最近の語 形成法則に従わない語形がインドネシア語話者の記憶の中に定着してしまったからだ。大 勢がtebersit, tercermin, tepergokを選択したのではないだろうか?そのうちのふたつ、 tebersitとtepergokは上述の語形成法則に合致しているが、一方、tercerminは法則から 外れている。正しくはtecerminなのである。 青年の誓い80周年に入った今年、音韻論上の諸法則に立ち戻って間違いを修正して行こ うではないか。古来からの接辞によるインドネシア語の語形成法則の音韻論パターンはイ ンドネシア人の舌に同化してしまっているのだから。 それは昔の話だって?今やインドネシア人知識層の多くはぺラペラペラと西洋語をしゃべ るのだから、berkerja, berpergian, berserta, terbersit, tercermin, terpergokを発 音するのに、舌がもつれることなんかないだって? 申し訳ないが、それは信じられない。英語ぺラペラペラのかれらの中に、バリ語・バタッ 語・ブギス語・ジャワ語・ミナン語・スンダ語・ティモール語訛りの英語を話すひとも少 なくない。もちろん、それがいけないと言っているわけではない。要するに、ブレ(bule = 西洋人)がインドネシア語を話すときにも、かれらの母国語訛りが聞こえてくるのだか ら。ちなみにブレという単語は、オンツェ・オンの著作によるとベネディクト・ROG・ アンダーソンがロンド(londo = Belanda)に替えて広めたものだという本人の話だったそ うだ。 Tajam Terpercayaの何がいったい間違っているのだろうか? ニュースの形容詞としてtajamという言葉を使ったそのテレビ局の選択にここで手数を費 やす気はない。本論のテーマであるterpercayaという語形に注目しよう。 まずpercayaという語をper+cayaという構造で形成されたものだという理解をするひとが いないように願いたい。この単語は第一音節がper-という/er/で終わる語のひとつなので ある。だからter-接頭辞による語形成法則に従い、tepercayaとなるべきものなのだ。 もし明日でも来週でも、tajam terpercayaというスローガンがtajam tepercayaに変わっ ていれば、わたしはそのテレビ局のチャンネルが提供する番組を見るようになるだろう。 但し条件がある。アナウンサーは悲報を伝えるとき、涙をこぼさないように。