「短縮語」(2019年10月23日)

ライター: 短編作家、ソリ・シレガル
ソース: 2014年4月19日付けコンパス紙 "Singkatan"

アンコッ(小型乗合バス)運転手が今向かっている場所を指差しながら、「Sektor, sektor!
(セクトル)」と叫んだ。ニュータウンと呼べるほど広大な住宅地区の住民には、運転手
の意図が十分に解っているようだ。

その広大な住宅地は9つのセクター(sektorインドネシア語の発音はセクトル)に分けら
れている。運転手が指差しているのは第9セクターであり、運転手は第9セクターSektor 
Sembilanと言うべきはずなのに、「Sektor」としか言わない。どうしてなのか?答えは簡
単。運転手は言葉を節約しているのだ。それで困惑するひとが乗っていたとしても、そり
ゃあ運行乗務員の問題じゃあないね。

その地域を走っているアンコッの乗客は九分九厘がそこの住民であり、停車場所を「ここ
はどこ?」「第何セクター?」などと尋ねるようなことをしない。他の地域からやってき
たひとにとって、はじめて問題になることがらなのだ。そこではじめて言い合いが起こる。
「なんで数字を言わないんだ?」


最初、Sektor SembilanをSektorとだけ省略しはじめたころ、運転手たちの間で議論が起こ
ったそうだ。たとえばPondok JagungはJagung、Situ GintungはGintung、Lebak Bulusは
Bulusというように、後ろの言葉を言う方がよくはないか?あるいはCilandak Town Square
をCitos、Gandaria CityをGancit、Pondok Indah MallをPim、Hotel IndonesiaをHI、Grand 
IndonesiaをGIというように、短縮語にするとか。

議論は紛糾して結論が出なかったため、各運転手の自由ということになってしまった。そ
してマジョリティが「セクトル」を選び、「スンビラン」と言うひとは少数派だった。ど
うしてか?スンビランと言う方が、乗客に親切なのではないのだろうか?再び、答えは簡
単。「セクトル」と叫ぶ方が、声がよく通るのである。「スンビラン」を同じ音量で叫ぶ
のはむつかしい。

わたしが現場でいくつかのアンコッに乗ったとき、ブロークンにせよ英語が解る運転手が
かなりいた。かれらの英語体験が「セクトル」の選択に影響を及ぼしているのだという説
を、運転手のひとり、北スマトラ州タルトゥン出身のナティゴル・ナインゴラン氏はこの
ように説明した。
「インドネシア人はマイクロウェーブオーブンをマイクロウェーブと省略する。リモート
コントロールはリモートとだけ言っている。あるとき乗客の会話を耳にした。「サロンで
カットするの?」「いいえ、フェイシャルよ。」わたしゃそのとき、フェイシャルの後ろ
に何か言葉があるはずだと思った。走っていて、美容サロンの表の宣伝垂れ幕にフェイシ
ャルトリートメントという言葉が書かれていたのを目にしたとき、あの乗客が言ったフェ
イシャルはきっとこれのことだとピンと来たよ。」

わたしがかれの話に熱心に耳を傾けているのに気を良くして、ナインゴラン氏はさらにた
たみかけてきた。
「だからわたしらはスンビランじゃなくてセクトルを選んだんだ。後ろじゃなくて前の言
葉だ。スンビランを選んだ連中は英語が分かってないんだよ。」

わたしが微笑んでいるのを見たかれは、わたしに賛同を求めてきた。「そうでしょうが。」

わたしはうなずいた。ゴマンとある短縮語に関して、その作り方に規則も決まりもお手本
も何もありはしない。ポイントは耳に心地よく響くこと。だから結局短縮語はそれを作る
ひとの個性に委ねられることになる。面白い短縮語を耳にしたら、笑えばいいのさ。