「翻訳者は国民の知性を磨く(前)」(2019年12月05日)

ライター: 文学者、バンドン在住、ウイルソン・ナデアッ
ソース: 2004年5月23日付けコンパス紙 "Penerjemahan, Mencerdaskan 
Kehidupan Bangsa"

トリスノ・スマルジョ氏がボリス・パステルナークの作品ドクトル・ジバゴをインドネシ
ア語に翻訳した。原作を読める文芸評論家層からの批評は「あちこちに不適切な訳がある」
「理解するのが難しい」などと述べられているが、このロシアの名作は読むに値するもの
だ。

それら評論家のコメントはきっとうなずけるものだろう。翻訳者は原作の英語訳をインド
ネシア語に訳したのだから。英語版からさらに他の言語に翻訳されたら、原作と異なる部
分が出てくるにちがいあるまい。原作に込められていた意味からますます遠ざかっていく
のではないだろうか。


外国語の作品の翻訳版に見られるであろう弱点はさておいて、このインドネシア語訳はイ
ンドネシア語使用者であるわれわれの精神性を豊かにしてくれる。1960年代に出され
たこのインドネシア語版は20世紀初めにバライプスタカBalai Pustakaが先鞭をつけた
世界の名作インドネシア語版の伝統を受け継ぐものだ。バライプスタカはたくさんの世界
の名作を世に送り出し、それはインドネシア人作家を育てる素材となった。世界中で行わ
れている価値ある作品の翻訳は素晴らしく、且つ高貴な努めである。出版社バライプスタ
カが行ったシステマチックな努力は、インドネシア人読者への教育と教養というビジョン
とミッションに沿うものだった。当時のバライプスタカ編集者たちは世界の名作の翻訳出
版という仕事を与えられて、文筆と校正のみならず、翻訳という責務までをも負わされた
のである。それからほどなくして、Jambatan、Gunung Agung、BPK Gunung Mulia等々の他
の出版社も、世界の名作を送り出すようになった。たいていの作品は数百ページにわたる
ものであり、2百ページ未満の書物ではない。翻訳者の忍耐力とスタミナが大いに必要と
されたのに加えて、出版費用も大きな額に上った。

通貨危機と経済危機がインドネシアを襲って以来、出版業界が貧血状態に陥っている、と
いう興味深い現象が起こっている。エスタブリッシュされた出版社が閉業して新会社がい
くつも発足した。政府の公共方針に推されたわけではなく、理想主義的小出版社の「国民
に英知をもたらし、知的レベルを引き上げる」という謳い文句が示す知性への欲求に推さ
れてのものだ。

前世紀の著名作家の作品。マスメディアのさまざまな記事の中で頻繁に引用される哲学者
の作品。たとえば、ニーチェ、ユング、マルクス、シモーヌ・ド・ボヴォワール、ガブリ
エル・ガルシア・マルケス、エーリッヒ・フロム、カミュ、ヘーゲル、ラッセル、フーコ
ー、ホセ・リサル、ダーウィン・・・・。今やそれらの原作をインドネシア語で読むこと
ができるのだ。1960年代から80年代までのエスタブリッシュされた出版社は、たい
した利益を生みそうにないと考えたためにそれらの作品に興味を示さなかった。新たに登
場した理想主義的小出版社層がそれらのきわめて知的な作品に体当たりして行ったように
見える。

インドネシアの出版界は世界の名作の翻訳版を継続的に発表していくプログラムを持つべ
きだろう。そのような行動こそが、わが民族の威厳を高めることにつながるのである。若
い世代がクオリティの高いユニバーサルなコンセプトを編み出せるように、ノーベル文学
賞作品を国民社会に紹介していくべきだ。世界的作家のクオリティの高い作品を通して国
民の知性を向上させることは優先度の高い継続的プログラムなのである。

日本人が明治維新時代に国を開いて青年たちを外国に留学させ、西洋の知識と文化を国内
に持ち帰らせなかったなら、あの国はきっといまだに後進国のままだっただろう。西洋の
文化文明を吸収して民族に欠けているものを埋め、国の発展を促したがために、かれらは
ほんの数十年間の間に先進諸国と肩を並べ、質的に対抗できるようになった。今でさえ、
かれらは時代の発展に沿った新しい発明のチャンスを追求し続けている。民族の知性向上
を促す書物の役割はそこに関係しているのである。日本人は読書の習慣を強固に身に着け
ている。

< 素晴らしいできごとの裏側に >
ここ十年間、カリル・ジブランKhalil Gibranの作品が青年読者層の人気を集めているよ
うだ。インドネシアで出版されたジブランの作品は数十冊の小作品だ。実際に原作はかな
り分厚いものだが、たぶん技術的な問題のためだろう、ヨグヤカルタの出版界は薄いもの
を出している。米国育ちのこのレバノン人作家はインドネシアでたいへん人気が高い。し
かしとても残念なことに、人気のあるジブランの作品のインドネシア語版には、読んでい
て眉をしかめさせるような部分がときどき出現する。意味の点から読者を戸惑わせる(意
味が理解しにくい)文章が出てくるのだ。[ 続く ]