「ヴェルテフレーデン(11)」(2020年04月28日)

ダンデルスは1810年にモーレンフリート南端地区一帯を整備させ、南端の東南部を文
民社交場の移転先と決めて建設をスタートさせた。完成したのは1814年で、ラフルズ
が翌年1月18日にオープニング式典を行った。内部には四つのホールがあって柱と屈曲
部で仕切られているだけだったので、数千人という超大規模なダンスパーティすら開催で
きた。建物内部は大理石の床や壁に豪華なシャンデリアや鏡、銅像などが飾れら、レスト
ランやカフェに加えてビリヤード室や読書室などもあって、ヨーロッパの普通のクラブハ
ウスを超越した宮殿のような建物だったそうだ。

この社交場はハルモニーSocieteit de Harmonieと名付けられたことから、モーレンフリ
ート南端地区一帯はハルモニーと呼ばれるようになる。ラフルズはオープニング式典でこ
の建物の玄関の鍵を運河に投げ捨て、永遠に不夜城の賑わいが続くように祈ったそうだ。
ハルモニー橋に近い運河の泥の中を探れば、その鍵が見つかるかもしれない・・・・?

オープニング式典の夜、21時に開始されたパーティは翌日夜明けまで続けられた。パー
ティでラフルズはイギリスとオランダの友好のために何度も乾杯の音頭を取った。ラフル
ズ政庁は、イギリスが統治権を握ったとはいえ、オランダ時代の行政官僚たちを大勢その
まま残してイギリス人に変えようとしなかった。人材の余裕がなかったことも確かだった
が、アンチナポレオンのオランダ人はイギリスの同盟者なのである。その後もイギリスと
オランダの友好を固めるために、ハルモニー社交場でのパーティは何度も開かれた。その
時代、東インドでの事業に参入するイギリス人が増加した。


ハルモニー社交場ができると、その西側を南下して今のモナス広場に達する道も整備され
た。現在マジャパヒッMajapahit通りと呼ばれているその通りは当初レイスウェイク通り
Rijswijkstraatと名付けられた。コニングスプレイン周辺に政府機関や高級ホテルなどが
作られてバタヴィアの街が更に南へと拡大していくころ、レイスウェイク通りから今のヴ
ェテラン通り・ジュアンダ通り一帯にかけてはバタヴィア随一の高級商店街になっていた。

その高級商店街地区住民の中に、フランス人が目立った。そこには、パン・菓子・フラン
スやロンドン直輸入の靴やファッション・ブテイック・宝石店・仕立屋・薬局・骨董装飾
品などの店舗からダンスやフランス語のレッスンを行う教室やホテルまでが勢ぞろいした。

レイスウェイク通りをはさんでハルモニー社交場の対面にある、レイスウェイク通り商店
街北端の店が当時バタヴィア最高の仕立屋だったオジ・フレールOger Freresだ。モーレ
ンフリート沿いにまっすぐ南下して来ると、橋の向こう側には左手にハルモニー社交場、
右手にはオジ・フレールの店が目に飛び込んでくる。

フランス人の兄弟がふたりで1823年に開店したこの店は正装紳士服を仕立てるバタヴ
ィア最高の店で、ヨーロッパの流行を敏感に取り入れて最新ファッションを顧客に提供す
る技術は並ぶ者がいないと絶賛された。この店は百年を越える息の長いビジネスをバタヴ
ィアで行っていたが、バタヴィアと共に姿を消したようだ。現在この場所は旅行会社二ト
ゥルPT Nitour本社に変わっている。

その南側には1862年にバタヴィアではじめて民間薬局の認可を得て開店したグスタヴ
・ヴァーナー・ヴィルケGustav Werner Wilckeの薬局があり、更に1866年にオープン
したバタヴィア唯一の眼鏡店デュレJ Duretがあった。

もう少し下ると1850年開店の時計宝石貴金属店オリスラーハーV.Olislaegerがあって、
ヴェテランVeteran通りの同業者ファン・アルケンVan Arcken & Co.と賑わいを競ったよ
うだ。この店は販売商品を自ら加工生産してバラエティに富んだ大量のストックを取り揃
えており、東インドの全域にその名が知られていた。

その更に南にはパンとパストリーで有名なルローLeroux & Co.がある。1852年にバリ
エーションに富んだケーキ・ビスケット・パストリーの商品を並べてオープンしたこの店
は19世紀終わりごろまで続いたようだ。ルローの右隣は写真スタジオ、左隣は雑貨店で、
いずれも短い期間に別の店に変わっている。

バタヴィアの黄金時代を印したレイスウェイク通り商店街は、今や往時の栄光すら見る影
もないありさまになっている。ジャカルタの地区名称としていまだに残されているハルモ
ニーの由来となったハルモニー社交場は1985年に解体撤去され、一部がマジャパヒッ
通りの拡張に使われ、残った地所は国家官房オフィスの駐車場になった。このエリアは今
や、ほとんどの都民にとって通り過ぎるだけの場所と化してしまったようだ。[ 続く ]