「シルクロードに茶の香り(終)」(2020年07月09日)

バタヴィアができる前のVOC初期の時代、バンテンにやって来て商館を開いてから、V
OCはムラユ商人が中国や台湾から持って来た茶葉を仕入れていた。その取引の場でムラ
ユ商人が使う福建語由来の「テ」という名称をオランダ人は茶葉の名称としてオランダ語
の中に採り込んだというのが語源として語られている。

そんな古い時代から茶葉はインドネシアに運び込まれてきていた。ヨーロッパ人がやって
きて買付を行う以前から、バンテンやジャヤカルタに住み着いてプチナンを作っていた華
人たちの茶葉に対する需要は大きかったはずだ。

18世紀に入ってからバタヴィアはマラリア汚染地域に変化したが、その前の17世紀を
通してバタヴィアは既にオランダ人の墓場と呼ばれていた。マラリアの先輩はコレラや赤
痢などだったようだ。だがそのような病名や病因を人類がまだ知らない時代、ひとびとは
突然襲ってくる死に怯えおののくしか対策はなかった。いや、オランダ人は酒を死に対す
る救いの神と考えて、アラッarakなどの地酒に酔いしれていたらしい。


あるとき、オランダ人医師の中に、プチナンの華人はオランダ人のように突然死する者が
少ないという現象を発見した者があった。医師はプチナンに入り込んで華人の生活を調査
した。医師が気付いたのは、華人たちは茶を頻繁に飲むライフスタイルを持っていること
だった。「ははあ、茶にはそういう効力があるんだ。」医師は心中に快哉を叫んだ。これ
で同胞オランダ人の生命が助かる。

医師はその仮説を公表した。するとオランダ人が続々と華人街を訪れて茶葉販売店で大量
の買い物をするようになったそうだ。オランダ人は買った茶葉を薬草だと思ってむしゃむ
しゃ食べていた。だがそれは、まったく当て外れの振舞いだったのだ。

華人はチリウン川の水を沸かして茶を淹れて飲んでいたため、生水が滅菌される結果をも
たらしていたというのがそのメカニズムだったのである。オランダ人は以前からチリウン
川の生水を飲み、医師の新発見に従って茶葉をむしゃむしゃ食ったものの、相変わらず生
水を飲んでいたから、バタバタと死んでいく者が相変わらず頻出し、医師が期待したほど
の救いにならなかったというのがこの笑い話のオチだ。


ヨーロッパ人がヨーロッパ市場のために茶葉の買付を始める以前から、インドネシアに住
み着いている華人の間で大きな需要が形成されていた。その需要を満たすための供給が中
国や台湾からの輸入一本やりで、自助努力は何ひとつ払われなかったなどということは、
あの中国人がどのような人間であるかということを知っている者にはそう簡単に信じられ
ない話ではないだろうか。

たとえ文献学的にはアンドリアス・クライヤーが最古の検証事実だっかもしれないものの、
文献が作られないことがらに対する文献学の能力は言うまでもあるまい。文献学のみに頼
って過去の世界を描くことは、危険なのではあるまいか?


英語の「ティ」の語源として、イギリス人がマラヤで福建語由来のムラユ語「テ」に接触
したことを挙げている説があるが、イギリス人にとっての茶の生産貿易という経済活動は
インドやセイロンの方が圧倒的に大きくて、マラヤとはくらべものにならない。現物とは
無関係に、たまたま採集した言葉だけでしかないものが、他の場所でありきたりの物にな
っている単語を押しのけて標準語のレベルにまで採り上げられる可能性についてのことを、
わたしは述べている。

セイロンでオランダ人が置き土産にしたであろうオランダ語の「テ」の方が、わたしには
より高い可能性を感じさせてくれる。しかしブリテン島でオランダ語の「テ」に接触した
1664年ごろの状況も、高い蓋然性を感じさせるものだ。といったところで、この謎解
きは幕を下ろすことにしよう。[ 完 ]