「居留地制度と通行証制度(9)」(2024年05月06日)

オランダ東インド政庁はジャワ人に医学学校をオープンした。ジャワ人はその学校を出て
医者になることができる。あるいは医学をもっと深めたい者はヨーロッパに留学する道も
開かれている。東インド植民地軍の士官養成の道も政庁は検討し始めた。下級行政官僚は
昔、ヨーロッパ人ばかりだったが、今はプリブミにもポジションが開かれている。

だが、プリブミへの公的教育制度を華人プラナカンが享受することはできない。華人プラ
ナカンはネイティブでなく、東洋人在留者に区分されているのだから。


オランダ東インドで商売して財を蓄えたアラブ人も少なくないが、どれほどその財を東イ
ンドの地に還元しているだろうか。かれらの多くはその財をアラブに持ち帰って故郷に錦
を飾っている。東インド在留華人の生き方とはだいぶ違っているのだ。

東インドにやってきた新客華人の中に、成功者になった者も大勢いる。だがそのほとんど
は東インドで暮らす子孫にかれが作った財を相続させている。かれらが建てて住んでいる
豪邸を見るがいい。バタヴィアばかりかジャワ島の諸都市からジャワ島外の島々に至るま
でそんな家系がほとんどであり、華人の子孫は祖先から伝えられた財を東インドで消費し
ているのだ。中には代々溜まった財をさまざまな理由で使い果たし、貧困者になった子孫
さえいる。事業の失敗だけがその原因でなく、政府との賃貸借や政府事業の関連でそんな
運命に陥った者も少なくない。


ここ10年くらい前から東インドとシンガポール・ペナン・中国・日本・イギリス領イン
ドなどとの関係が密接になってきたため、子供を政府の学校に入れるのを希望する華人父
兄が増加した。だがそれはたいへん困難で金のかかる希望だった。中国語(漢字漢文)の
読み書きに関心が向かわなくなり、需要の減少した東インドにやってくる中国語教師はい
なくなった。

ヨーロッパ語の需要が増加し、退職したオランダ人行政官僚たちがオランダ語を教えるた
めに語学学校を開くことが流行し始めた。かれらは英語などまったく話せないというのに、
英語学校を開くという名目で行政から許可を取った。行政はめったな相手にオランダ語を
教える許可を与えなかったのだから。異民族がむちゃくちゃなオランダ語を創造して使う
ようになり、オランダ国外で壊れたオランダ語が流通するようになるのをオランダ人は恐
れていたのだろうか?

しかしオランダ政庁はその方針をもうやめてしまったから、今ではオランダ語学校を開く
こともそれほど困難でなくなっている。

そんな状況の中で百年も昔から行われてきた通行証制度はただただ華人プラナカン住民を
苦しめているだけであり、華人層はそんな実態に目を開いて現状を改善する意欲を持たな
ければならないとプア・ケンヘッが華人社会を叱咤激励したのである。


通行証は目的地がどこであれ、地元行政長官が無条件で作成してくれる。つまり異民族居
留者は基本的にどこを訪問しても構わないという原則になっているように思われる。とこ
ろが例外的にそうでない土地がジャワ島内に存在しているのだ。ソロとヨグヤカルタとい
う二王国の直轄領土がそれである。

その二地域のどこかを目的地にして通行証を申請すると、地元行政長官はまず目的地のレ
シデンに問い合わせをかける。こういう名の異民族居留者に通行証を発行してもよろしい
か?それを郵便でやり取りするのだから二週間くらいの日数が必要になる。とてもその日
のうちにウェイクメステルの事務所に届けるようなことはできない。

申請者負担で電報でのやり取りをするならもっと早くなるだろうが、華人が普段行ってい
るような電報での取引合意のように二三日で片付くようなことも期待できないから、一週
間はかかると見なければならない。もしも問い合わせ先のレシデンから不可の返事がくれ
ば、申請者は出発することが不可能になる。[ 続く ]