「奪い去られた鉄路(1)」(2025年08月01日)

太平洋戦争のおり、日本軍はタイのノーンプラドゥックからミャンマーのタンビュザヤま
でを結ぶ415キロの鉄道線路を建設して使った。建設工事は1942年の6月にビルマ
側から、7月にタイ側から着工されて、1943年10月に両方がつながった。

この鉄道は1944年3月に始められたインドのインパールへ向けての侵攻作戦に重要な
役割を果たしたと言われている。しかしインパール侵攻作戦は失敗してその年7月にその
軍事行動が終了した。10万を超える人名を奪ったと見られている鉄道建設は日本軍にと
って4カ月の軍事作戦に利用されただけで終わったようだ。

日本語ウィキペディアには、その建設工事に狩り集められた労働力が次のように記されて
いる。
日本軍 12,000人
連合軍捕虜 62,000人
タイ人労務者 ?0,000人
ビルマ人労務者180,000人
マレー人労務者 80,000人
インドネシア人労務者 45,000人

インドネシア人労務者が大量にタイ=ビルマ方面に連れ去られて二度と戻って来なかった
という話はイ_ア語情報の中に山ほどある。かと言って、全員が死んだという話にもなっ
ておらず、巧みに現場から脱走することができた者は現地の農村に隠れ、そこで地元民の
中に紛れて戦後まで生き残り、インドネシア独立後に現地人の妻と子供を連れて戻って来
たという話も語られている。


おかしなことに、日本語ウィキのページには使われたレールの由来がマレー・ビルマ・タ
イ・インドシナ・日本と記されているだけで、インドネシア人の常識になっている「大量
の鉄路が撤去されてタイ=ビルマ鉄道建設工事のために運び去られた」という話の影すら
見えない。

もしも本当にインドネシアの鉄道線路がタイ=ビルマに送られなかったのなら、それらは
日本に送られて溶かされた可能性が高い。ジャワ島を占領した日本軍は何のためにそんな
嘘をインドネシア人に言わねばならなかったのだろうか?

タイ=ビルマ鉄道建設工事が完了したあとも、日本軍はインドネシアにある線路を外して
国外に送り続けた。その時期にはもうタイ=ビルマという言葉が言われなくなっていたは
ずであり、それが日本に送られていることをインドネシア人は容易に推測できたはずだ。

2015年4月10日付けコンパス紙に、日本軍が運び去ったジャワ島とスマトラ島の鉄
路の明細が次のように記されている。日本軍政期の初期に撤去されたものはタイ=ビルマ
鉄道のためだったと多くのインドネシア人が語っている。ジョクジャやソロのサトウキビ
農園に敷かれていた線路の多くがその時期に撤去されてタイに送られた。その種の線路は
下のリストに含まれていない。

このリストは貨客運送のための営業用としてオランダ時代に建設されたものが対象になっ
ている。サトウキビ農園内に敷かれた軽便鉄道とは性格の異なるものなのである。しかし
タイ=ビルマ鉄道建設工事が終わったあともインドネシアで線路の撤去は行われ続けた。
それについては、日本軍の戦争遂行のための軍需物資の原料にされたという見方を一般の
インドネシア人はしている。[ 続く ]