「世界を揺さぶったスパイス(20)」(2024年05月17日)

挙句の果てに、1932年になってオランダ人がザンジバルクローブをオランダ東インド
に持って来て植えさせた。そのために今のインドネシア国内で主流を占めているクローブ
はzanzibar, sikotok, siputih, ambonなどの種になっている。マルクですら、ザンジバ
ル種は決してマイナーではない。

2017年5月のある日、マキアン島のキエブシ山稜にある地元民の農園には小雨が降っ
ていた。農園は右も左もびっしりと緑に覆われている。クローブ、ナツメグ、クナリの木
々、そしてヤシの木。ナツメグ、クナリ、ヤシの木々には若い実が付いているのが葉や枝
の隙間から見えるのに反して、クローブの木には花さえ咲いていない。花が咲いてはじめ
て実ができるわけで、花ができなければ実が付くはずもない。カレンダー上ではもう花が
咲いていなければおかしいというのに、花の蕾さえ見えないのだ。その農園の持ち主はク
ローブの木の生産性が変わってしまったと物語る。

変化が起こったのは、キエブシ山が噴火した1988年以後のことだった。噴火のために
火山灰が降り積もってたくさん枝が折れた。それ以来、クローブの木は5年に一回しか収
穫をくれなくなった。それ以前には毎年収穫があったというのに。

その農園に50本あるクローブの木は一本あたり20〜25キロの収穫を5年に一回もた
らすだけになった。5年間を通算すれば、収穫量は5分の1程度に低下したということに
なる。農園に一緒に植えているナツメグにもっと精を出そうと持ち主は考えた。ナツメグ
は一年中実を付けるのだ。しかしナツメグにも困難が付きまとう。実が成長しているとき
に割れる病気に襲われるのである。収穫を増やすのは容易なことではない。

クローブとナツメグの栽培は何百年も前から行われてきた。今の農園オーナーも祖父や親
がしていたことを受け継いで行っている。マルクのクローブとナツメグ栽培にテクノロジ
ーの恩恵はあまり加えられていない。オランダ人が独占方針をやめたあとでマルク人の間
に復活したクローブとナツメグの栽培は、まるで時間が止まった空間の中で営まれている
ようだ。

アンボンのクローブ仲買人のひとりは、農民生産者から買い集めたクローブを全量、スラ
バヤの大手流通業者に送っていると語った。その流通業者はマジョリティをクレテッタバ
コ業界に納入しているそうだ。


レアセと昔から呼ばれてきたサパルア・ハルク・ヌサラウッの3島は遠い昔、クローブの
木が高品質であるという評価を与えられて、レアセで得られた木の苗がセラム島やブル島
に植えられた。あたかもそれを証明しているかのように、レアセではクローブの木にたく
さんの花が咲く時代が続いた。

元々が原産地でなかったレアセをクローブの生産センターにしたのはVOCだった。VO
Cはクローブの完全独占を目指して、自分の手で覆うことのできるアンボン島とレアセの
島々にだけクローブが栽培されるようにし、原産地である北マルクの5島をはじめ、各地
に生えているクローブを全滅させようとした。それがホンギトッテン政策の核心部分だっ
たのである。

原産地である北マルクの5島は複数のスルタン国に分かれ、クローブのおかげで蓄えられ
た経済的な底力を使ってVOCに対抗しようとしてくる。スルタンをVOCのイエスマン
にする努力は続けられても、おりおりに出現する反抗者がその経済力を踏まえてVOCと
対等の立場に立とうとすることが繰り返された。そんな者たちにクローブをイギリスやフ
ランスなどの競争相手に販売されてはヨーロッパ市場におけるオランダの完全優位がなか
なか達成できないのだ。原産地の5島を衰弱させるにはどうすればよいのだろうか。

原産地からクローブを抹殺する動きは、マルク地方でオランダ人がそれらの島々を支配下
に置いたあと、ほどなく開始されている。[ 続く ]