「世界を揺さぶったスパイス(21)」(2024年05月20日)

レアセでは1990年代に入るまで、クローブは農民たちの暮らしを支える柱だった。か
れらはクローブの木をまるで自分の子供のように大事に育てた。部落から距離がかなり離
れている森へかれらは毎週出かけてクローブ木の世話をした。木の回りに生えた雑草を刈
り取り、木に生えた苔を水をかけてこすり落とす。そのとき使う水は部落を出る時に持っ
てくるのだ。

10月から12月がこの地方のクローブ収穫期になる。収穫期になると部落のひとびとは
連れ立って森に入り、花蕾の収穫作業をみんなで行う。だからその時期、部落はしばしば
日中からひっそりと静まり返ることになる。しかも収穫活動を数日間続けようという場合、
ひとびとはみんなそろって森の中に建ててある小屋で夜を明かす。

森にあるクローブの木の中には、かれらの親の世代が植えたものもたくさんある。親たち
は植樹を熱心に行ったと語る今の世代のひとびとが大勢いる。かれらの親や祖父がクロー
ブの木を大切に扱ったのは、高価なスパイスとしてのクローブが日々の生計をまかない、
さらに他の必要な出費をもまかなうことができたからだ。家を修理したり新築したり、子
供に大学卒の学歴を与え、さらにはメッカ巡礼すらも実現させてくれた。


ところがクローブ商業統制という名のもとに1992年からクローブサポート&マーケテ
ィング庁(BPPC)という政府機関が設けられ、クローブ農民は全収穫をそこに売却するよう
に命じられた。違反をすれば警察沙汰になった。それまではキロ2万ルピアの収入が得ら
れていたというのに、BPPCが農民に支払う金額は実質上でたったの3千ルピアになってし
まったのだ。

オルバレジームが1998年に終わってBPPCが解体されたにもかかわらず、1999年か
ら2002年まで続いたマルクの宗教種族コンフリクトがクローブ生産をさらに悪化させ
た。抗争し合う集団は互いに相手の暮らしの柱になっているクローブの木を全滅させるよ
うに努めた。憎しみは人間に向けられただけでなく、クローブの木もその巻き添えを食わ
されたのである。VOCの行ったホンギトッテンがクローブの木の全滅を目指し、それを
邪魔する人間を滅ぼそうとしたのと順序が異なっているとはいえ、似たようなことが繰り
返されている事実を知ったとき、冷たいものが背中を走るような感覚がわたしを襲った。


ハルク島オリ村の住民のひとりは、今ではクローブの木をわが子のように扱う姿勢が村か
ら消えてしまったと嘆く。雑草に覆われようが、苔が幹に貼りつこうが、ましてやクロー
ブの花が咲いても、みんな何をしようともしなくなった。古い木が枯れて倒れても、植樹
をする者もいない。

そうは言うものの、クローブの木に頼って生きて行かなければならない村民もまだまだい
るのである。残った数少ないクローブの木から収穫を得ている村人は少なくない。そのひ
とりは「昔、わたしの一家は百本をゆうに超えるクローブの木を持っていましたが、今残
っているクローブの木は20本あるかないかです。」と語った。

経済的に寂れてしまったオリ村には、余裕がなくなってしまった。収穫したクローブを十
分乾燥させれば長期保存が可能になり、在庫にして相場が上がったときに売ることができ
る。余裕がなくなれば、収穫したときの相場が高かろうが低かろうが、選択の余地はない。
それがますます経済をひっ迫させ、余裕を失わせていく。


ところがもっと根本的な問題が併せて浮上して来た。クローブの木の生産性が目立って衰
えてきたのだ。サパルア島トゥハハ村のマックス・ルフカイさんは50本の木を持ってい
るものの、それらの木が一斉に大収穫をもたらすのは数年に一度になってしまい、そんな
時期でさえ総収穫量は100キロを超えなくなった。

2年前に起こった大収穫のとき相場はキロ3万ルピアだったが、収穫のために雇う者の人
件費に50万ルピアが支出され、2百数十万ルピアしか手元に残らなかった。これで一年
間暮らすのは不可能だ。クローブはレアセのひとびとの生活を支える柱にならなくなった
のである。そのために、かつてのクローブ農民たちは漁労をしたり、ナツメグ・カカオ・
コプラ・サゴ・芋類といった他の商品作物を併業するようになっていった。[ 続く ]