「天の蝕(3)」(2024年07月03日)

ラフのことをKala Rahuと呼ぶ地方があるのは、このヒンドゥ物語を由緒にしたからだろ
う。そうでない地方ではBatara Kalaという名称が一般的だが、ジャワの神話の中のバタ
ラカラとはシワ神とウマ神の間に生まれた子供で、時を支配する力を与えられたラッササ
とされている。サンスクリット語kalaはwaktuやzamanを意味している。

時を支配するということの中に、人間に与えられた生命が時の経過によって終末に達する
現象の厳格な運用が含まれている。生命の時が終焉した人間は死ななければならないのだ。
まだ生き続けたいと泣き喚く者の生命をバタラカラが奪うことになる。人間社会が抱くバ
タラカラのイメージが凶悪な殺人鬼の姿になっていったのも当然の成り行きだろう。

パレンバンに語り伝えられている民衆説話では、太陽や月を呑み込むのはムシ河から出現
する龍であり、龍を驚かせて太陽や月を吐き出させるためにひとびとはさまざまな楽器を
大音量で鳴らすのに加えて爆竹をも同時に鳴らしていた。龍が太陽や月を?み込むイメー
ジは中国説話からの由来を感じさせる。

バンカブリトゥンでは昔、民衆は恐怖に慄いて森の中に隠れたり、屋内に縮こまってベッ
ドの下に隠れたりしていたが、だんだんと大きな音をガンガン鳴らして威勢を張るように
なったそうだ。


しかし大きな音を出すのは、驚かせて喉に詰まらせ、吐き出させようというのでなくて、
もう少し心理学的な説明をするひともいる。バリ島の説話ではカラが月の女神ラティを呑
み込もうとする話が語られており、それを邪魔するために大きな音を出してカラの注意を
地上に向けさせ、ラティが襲われないようにするのが目的なのだ。そのとき叩かれるのは
クントガンであり、またモミ米を搗くためのルスンも使われる。

ジャワではむしろルスンの方が花形になる。長い舟形のルスンをカラの身体に見立てて5
〜6人がリズミカルにトントンとルスンの底を長い棒aluで打つ。そうするとカラはくす
ぐったくなり、吐き気を催して呑み込んだラティを吐き出すと言われている。

ルスンを打って音を出す芸能をジャワではgejog lesungと言う。グジョッルスンは普通1
2人で行われる。ジャワでモミ米搗きは夜が明ける前のまっ暗な時間に行われ、そうして
得られた新しいコメを炊いて朝食に供するのが日々の習慣であったことから、ルスンの音
は朝の日の出を招くものという解釈が一般化した。バンドゥン・ボンドウォソとロロジョ
ングランの物語でロロジョングランがルスンを打たせたのにはそんな意味があった。

昔のジャワ人の一日は夜明けから始まった。日蝕でこの世が薄暗くなれば、明るい日の出
を招くためにルスンを打とうと考えたかもしれない。ルスンを打って新しい一日を招くの
である。そうしてかれらは確かに新たな一日を手に入れた。一日の長さが異なっていたに
せよ。

グジョッルスンでは同時に歌がリズムに合わせて歌われる。一日の始まりを迎える歓びの
歌だ。そしてルスン打ちに加わらない他の女たちも、その辺りにある道具を持って踊るの
である。それを見る限りでは、恐怖と戦慄などどこ吹く風というように見える。

スンダ地方のマジャレンカでは蝕が起こった翌日にウアルの祭りが行われて、蝕が凶事を
もたらさないようにお祓いが営まれる。ウアルの祭りのシンボルはクトゥパッで、この場
合は特に竹の葉を編んだクトゥパッが作られる。


カリマンタンのダヤッ族の中には、蝕が起こるとバリアン(魔術師・超能力者)が呪文と
祈りを唱えて神に加護を願う儀式を行うところもある。若い者は家から外に出るのだそう
だ。ただし鍋や洗面器を頭に被って、白髪になるのを防がなければならない。

蝕はネガティブエネルギーを地上に降らせるため、それを追い払うためにゴンや太鼓など
の打楽器を大音量で叩く。一方、川沿いの住民は家の中に隠れて外に出てこない。

中部カリマンタンでは太陽と月の決闘が蝕を発生させていると解釈されており、ありとあ
らゆる大きな音の出る物を叩いて両者の決闘を和解させようとするのだそうだ。地上から
天空に向けて、われわれ人間はここからすべてを見ているのだぞ、というメッセージを送
るのだろう。実にユニークな発想ではないだろうか。[ 続く ]