「天の蝕(2)」(2024年07月02日)

インドネシアにも天体の蝕を物語る言い伝えや昔話がある。口承によって語り伝えられて
きたものだから例によってさまざまなバリエーションが存在していて、オーセンティック
なスタンダードを求めることが困難になっている。その中でもっとも広く世間に流布した、
日蝕や月蝕が起こる原因を物語るジャワやバリの話がこれだ。

元々、ラッササ(インドネシアでこの言葉は「人間の姿かたちをしているたいへん巨大な
生き物」を意味している。言い換えるなら、人間が巨大化したものでないという解釈がで
きるだろう。超能力を持っていて、突然自分の姿を消したりできるのだ。だからraksasa
を巨人と翻訳するのは文脈次第で誤訳になりかねない。日本語辞書では巨人をあくまでも
人間としており、英語のgiantともその点に違いがある。日本の古代説話に登場する鬼と
いう生き物が本来のラッササではなかったかと思われるのである)であって神ではなかっ
たバタラカラが神になりたいと望み、神々にだけ許されているアムルタの水を飲んで永遠
の生命を得た。ところが水を盗む現場を目撃したスルヤ神とチャンドラ神がバタラカラの
悪行をウィスヌ神に報告したのである。スルヤは太陽の男神、チャンドラは月の女神だ。

天上からは地上のすべてがお見通しなのだということをそれは教えているのだろう。ウィ
スヌ神はバタラカラを罰するために矢を射た。そして矢はバタラカラの頭部と身体を切り
離した。しかし永遠の生命を得たバタラカラは死なない。

頭だけになったバタラカラは、ウィスヌ神に告げ口したスルヤ神とチャンドラ女神に復讐
するため、ふたりを追いかけまわすようになった。そして捕まえては呑み込むのである。
スルヤを呑み込むと日蝕、チャンドラを呑み込むと月蝕が起こる。ところがバタラカラは
頭部だけなのだから、呑み込まれた太陽も月もまたバタラカラの喉を通って外に出てくる
のだ。


だったらどうせまた元通りになるのだから、天体の蝕を気楽に眺めていればいいじゃない
かと思うだろうが、ジャワやバリでは天体の蝕が始まるとクントガンや叩いて音が出る楽
器をひとびとが最大の音量でガンガン鳴らすようになった。呑み込んだバタラカラを驚か
せて、びっくりしたバタラカラが呑み込んだものを吐き出すように誘導しようと言うので
ある。音が大きいほどバタラカラのびっくり度が増大するから、早く吐き出させるには大
音量が決め手だという尾ひれがついて、大勢の人間が必死になって音を出す一大コンサー
トが繰り広げられていたという解説が見つかる。

蝕が終わって元の姿に戻って行く太陽や月はバタラカラが吐き出したものだったのだろう
か、それとも喉を通って出てきたものだったのだろうか。クントガンについては拙作
「クントガンに想う(4〜終)」(2019年06月13〜14日)
https://indojoho.ciao.jp/2019/0613_1.htm
https://indojoho.ciao.jp/2019/0614_1.htm
をご参照ください。


西暦998年に書かれた古代ジャワの書Adiparwaには、神になりたくてアムルタの水を盗
んだラッササはただサン ウィラワチッティとサン シンヒカの子供と書かれているだけで
名前が述べられていない。そのラッササが月や太陽を呑み込む話とバタラカラのラッササ
像のイメージの間に習合が起こったのだろうか。インド伝来のヒンドゥ説話はこう物語っ
ている。

ラッササのラフが永遠の生命を得たいと望み、神々の間に紛れ込んで生命の水アムルタを
飲んだ。神のふりをして紛れ込んでいるラフの正体を神のひとりであるラディティア ウ
ランが見破り、ウィスヌ神に注進した。怒ったウィスヌは自分の武器チャクラを投げてラ
フの首と胴体を切り離した。そのときアムルタ水はまだラフの口から身体に流れ込んでい
なかったために、胴体は死んだが頭は死ななかった。

頭だけになったラッササのラフはラディティア ウランを付け回すようになった。呑み込
んで復讐しようというわけだ。だがラディティアは神なのだから噛んでも呑み込んでも死
ぬことはない。呑み込んだところで、ラフの喉を通ってまた出てくるだけなのだ。こうし
てこの復讐劇は太古の昔から未来永劫繰り返されることになった。[ 続く ]