「天の蝕(5)」(2024年07月05日)

インドネシアで現在発見されているもっとも古い蝕の記録は中部ジャワ州で西暦843年
3月20日に起こった皆既月蝕を示すものだった。その日午前2時から3時までの58.
9分間、皆既月蝕が継続した。

それを物語っているのは、中部ジャワ州トゥマングンで発見された直径30.8センチの
傘をすぼめた形をしている銀製のスチェン I 碑文で、神への奉納物として作られたもの
である。「この碑文はサカ暦765年チャイトラ月パロトゥラン15日の月蝕の時に作ら
れたことをダン ヒヤン グルが書き記す」という内容の文がそこに記されている。

古代ジャワ暦は日の出と共に一日が始まるが、西洋暦は深夜0時に日付が切り替わるので、
ジャワで午前2時というのは前日の日付になっており、西洋暦と一日のズレが生じる。も
しもサカ暦の日付を検証しようという方がいらっしゃるなら、それをお忘れなきように、
とインドネシアの天文考古学者トリガンガ氏がアドバイスしている。


もうひとつ代表的な月蝕の記録が東ジャワ州パスルアン県グンポル郡のプナングガン山の
東麓で見つかっている。古代ジャワのひとびとにとって、プナングガン山は聖なる山だっ
た。この山にはチャンディ・瞑想場・水浴場など116の遺跡があり、東ジャワにおける
ヒンドゥブッダ文化の重要拠点になっていた。

その山の標高336メートルの高台に建てられた古代マタラム王国の遺跡と考えられてい
るCandi Belahanの水浴場に置かれた石像が当該する遺物だ。その石像とは安山岩の板に
彫られたレリーフ画像であり、浮彫の画像そのものが西暦1009年10月7日に東ジャ
ワで起こった月蝕を物語っているとされている。この石像に文字は刻まれておらず、ただ
レリーフ画像だけが石の板に彫り込まれているのだ。

その画像とは、なんとなく動物っぽい顔つきで縮れ毛の頭をしたラッササが両手で中央に
穴の開いた大きな円盤をつかみ、口が円盤の端に来ている構図になっていて、これからラ
ッササが満月もしくは太陽をかじろうとしている光景を描いたもののように見える。円盤
の下にはふたりの人物の姿があり、月の女神であるチャンドラ神と太陽の神であるスルヤ
神が意図されているように思われる。その画像では、バタラカラの胴体は描かれていない
が、二本の腕を持っているから頭と胴体がつながっていると想像することもできる。

それはともあれ、スルヤとチャンドラを思わせる姿が描かれているのだから、実際に起こ
った皆既月蝕を示しているというその画像の解釈は日蝕と月蝕の両方が自然界に存在して
いることを思わせるデザインを説明できていないと主張する学者の声もある。

チャンディブラハンのそのレリーフ画像からどうして年月日が解るのかというと、画像が
数字の意味を持っているのだ。言葉に数字の意味を持たせた一種の暗号はインドネシアで
sengkalaまたはsengkalanと呼ばれている。ヒンドゥ文化の中に生まれたスンカランはイ
ンドや東南アジア大陸部でも広く知られており、ジャワ・バリでもよく使われていた。

英語でクロノグラムと呼ばれているsengkalan lambaは古代ローマやヘブライにもあった
ものだが、画像のスンカランであるsengkalan memetは他の文化に同じように存在したの
だろうか?[ 続く ]