「言語の論理と意味の伝達(6)」(2024年07月29日)

ライター: 国語学者、著述家、サロモ・シマヌンカリッ
ソース: 2011年7月8日付けコンパス紙 "Bahasa yang Sungsang" 

ジャカルタ首都特別区は逆語で運営されている。(訳注:bayi sungsangは逆子(さかご)、
bahasa yang sungsangは逆語(さかご)かな?)
sungsangとは逆になっていることを意味している。上にあるものが下になり、前にあるも
のが後ろになり、頭が下にあって足が上にある。sungsang kalakとはjungkir balikのこ
とだ。だからbahasa yang sungsangとはbahasa yang jungkir balikを意味している。

2009年総選挙キャンペーン期間を通して著名な政党人たちが「Katakan tidak pada 
korupsi.」とテレビCMで語っていた。しかし2009年末以来、メディアが報道してい
るのはコルプシに次ぐコルプシ。逆語とはそれのことなのだ。tidakはyaを意味するので
ある。だからテレビCMのフレーズが意味しているのは「Katakan ya pada korupsi」に
なっている。

それがジャカルタとどういう関係にあるのか?もちろん何も関係はない。さあ、RMマル
ゴノジョヨハディクスモ通りからガルングン通りへ、そこからさらにスルタンアグン通り
までチリウン川沿いを歩いてみよう。ジャカルタに家を持っていないひとはそんな地名な
んか気にしなくてよい。川沿いに告知板が何本か、距離を置いて立てられているのに出会
うだろう。そこには「Stop!!! Buang sampah ke kali.」という警告が書かれている。首
都ジャカルタ域内におけるきれいな環境作りに関する1988年地方規則第5号に準拠し
て、南ジャカルタ市都市清掃局がそれを立てた。

EYDの決まりによれば「!」のサインは、呼びかけあるいは命令形式の発言や表明の後
に置かれて本気や不信あるいは強い感情を表現するものとされている。南ジャカルタ市の
立てた告知板の文を見ると、「!」のサインは単語「Stop」の後に置かれ、そのあとに
「Buang sampah ke kali」という別の命令が続く。つまりこれは、その告知板に近付いて
きたひとに対してまず「止まれ」と命令し、さらに「ゴミを川に捨てろ」という命令が続
いていることを意味しているのである。

何というアブナイ命令を出しているのだろうか。もしもそこにやって来た者が捨てて良い
物を何も持っていなかったら、かれはその近辺を探し回ってゴミにして良いと思われる何
かを拾い、それをチリウン川に投げ捨てなければならない。そうすることでやっとその命
令から解放され、かれはそこを通過できることになる。

1988年ジャカルタ首都特別区地方規則第5号の内容を調べてみよう。その第4条に
「住民あるいは建物所有者および居住者のひとりひとりは、地方首長が定めた場所以外の
道路・緑地・公園・川・水路・その他の公共スペースにゴミを捨てあるいは溜めることを
してはならない。」と書かれている。だったら南ジャカルタ市の都市清掃執行者の意図は
「Stop buang sampah ke kali.」と言いたかったのだ。


逆語現象はそればかりではない。洪水災害を避けるためにジャカルタ首都特別区の西と東
に何兆ルピアもの費用をかけて掘られた運河がこともあろうにBanjir Kanal Baratおよび 
Banjir Kanal Timurと名付けられている。バンジルというのは暫定的なできごとなのであ
る。それが起こらないように克服しなければならないのだ。恒久的なものにしてはいけな
い。ところがインドネシア共和国の首都はバンジルを地名にして永久保存した。

子供にSelametという名を付けるのは、その子の人生が無事に進展することを期待するか
らだ。商店の屋号にJayaを付けるのは、客が絶えずその店にやってきて繁盛し、店主は豊
かになって大いに栄えるのを期待するからだ。

Banjirを運河の名前にするのは、その命名者である首都特別区の運営者が両方の運河に対
して未来永劫、水があふれて洪水を起こすことを繰り返すように期待しているのだ。

昨日も、何台もの都バスにまだ貼られている「STOP!!! Korupsi sekarang juga. GN-PK 
Pusat」のステッカーを目にした。乗客は「善人であることをストップせよ」そして「今
すぐ善人とは反対の汚職者になれ」と指図されているのである。