「言語の論理と意味の伝達(終)」(2024年07月31日)

ライター: 語義研鑽者、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2016年10月29日付けコンパス紙 "Logika Bahasa" 

言葉はユニークなロジックを持っている。ロジックにはたくさんの種類がある。普通われ
われが日常的に格闘しているフォーマルあるいはインフォーマルなロジックは厳密なもの
でない。厳密なフォーマルロジックとはたとえば哲学に使われるようなものだ。たいへん
シンプルなものとしては、シンボリックロジックを含む数学のロジックがある。

言葉のロジックはインフォーマルロジックのひとつだ。言葉の真理・・・失礼。その始ま
りはこうなっている。ロジックはラテン語logica(理性)に由来しており、特に思考のプ
ロセスと形態を検討する哲学の一分野として、中でも結論を引き出す際のプロセスが正し
いか間違っているかを決める点において高い有用性を持っている。

その意味はギリシャ語he logike tekhne(理性のアート)のラテン語訳であるars logica
から取られたものであり、logosという語から派生したものだ。現代のわれわれが学問の
諸分野の名称に付けている-logiの母体がそれなのである。


言葉のロジックは厳密なフォーマルロジックに従わず、様々な形態の見かけの原理に忠実
であるということが言語警察の諸先生方をうんざりさせている。対語の組合せ「pulang 
pergi」「turun naik」「keluar masuk」などの表現は昔からあって、世の中で幅広く使
われている。しかし、「帰るが先で行くが後?」「降りるが先で登るが後?」「出るが先
で入るが後?」と不審を抱いてカッカする先生方もいるもので、そんな先生方はクロノロ
ジカルな順序に合致したロジックを求めて、古来の表現を「pergi pulang」「naik turun」
「masuk keluar」に変えようと努めている。「menggali lubang」「menanak nasi」など
にもカッカして大汗をかく人たちがいる。「穴をまた掘るのか?そりゃ井戸を作るんだな
?」「飯をまた炊くのか?お粥を作るのか?」と口やかましい。

新聞の記事を読んで、言語破壊報道だと怒り狂うひともいる。
Begal-begal mau dibasmi polisi. 撲滅されたい強盗がどこにいる?
Koruptor itu berhasil ditangkap basah KPK. 現行犯逮捕されたことが成功だって?

このひとたちはmauがpolisiの仲間になっていて、berhasilがKPKの方にくっついていると
いう解釈を受け入れることができないのだ。SPKの法則に従え!修飾語はできるだけ被
修飾語の近くに置け。ダメだよ。こんな・・・・

いや、もういい。違反している規則はまだ2ダースほどあるのだが、それは別の機会にゆ
ずりたい。時間とエネルギーとチャンスがあるときにその検討をしよう。何だって?あな
たはSPKの意味を知らない?チッチッチッ。

あなたの隣人に知られないようにしなきゃ。恥だよ。隣人に恥ずかしい思いをさせるのが
良いんだ。隣人が「hujan mau turun」とか「bayi mau lahir」なんて言葉を口にするの
を待って、あなたは即座に相手をむしる。「雨や新生児が何かを考えることができるのか
ね? 」


「adalah merupakan」「oleh karena」「namun demikian」「meski...tapi...」などは言
葉の浪費だと言語修繕家たちはおっしゃる。過剰なのだ。どちらかひとつで十分用が足せ
る。上のパラグラフに「masih...lain」を使った点から見られるように、この文を書いて
いる筆者は浪費家なのだ。そこでのmasihとlainは同じ機能を果たしている。文筆家と称
している素人の底が見えたぞ。

言語ロジックは直観に頼っていて、一貫性を持たない。それを正しいと感じたなら、それ
は正しいのだ。その意味はそうでなくてこうでなければならないと感じたら、これが正し
いのである。言葉というものは遠い昔から今日に至るまで、そんなものだったのだ。墓に
埋められて墓碑が建てられていようがいまいが死んでしまったものを除いてすべての言語
は、自分の言語規則を絶え間なく破り、果てしなく逸脱してきた。日々、新たな規則破り
が起こり、新たな変化が作られ、そのようにして新しい語義、新たなホライゾン、新規の
美が出現したのである。《もちろん悪も出現した。われわれはそのために言語警察を必要
としている。》言語と思考の複雑さはそこに生じた。言語規則に百パーセント従った言葉
は多義的な解釈を不可能にし、新しい思考や詩的な美を決して生まない。


言語における真理は、たとえば法律における真理と反対のものだ。法律における真理はま
ずロジカルでクロノロジカルな検討と分析が行われる。そのあとそれをベースにして、起
こるであろうできごとに当てはめてテストされる。求められているのは規範としての性質
である。言語における真理はその反対なのだ。言語は生まれて野放図に育った。そのあと
で、その野生のものを言語学者が分析して規則を作り出した。だから言語規則というのは
説明的なのである。

規則から外れた言語行為が起こったとき、言語専門家はそれを例外と呼ぶ。真理として受
け入れなければならない誤謬だと言うのだ。残念なことに、と言うかラッキーと言うか、
言語使用者というのはたいていがわがままで厚顔無恥なのである。なぜなら、言語ロジッ
クに従うなら、慣用的なものであれ例外であれ、どちらも同じように真理になるのだから。
それが言語におけるアートなのだ。