「傘と笠(終)」(2024年12月31日)

ただまあそれは最大公約数的なイメージであり、各家庭がそれぞれの事情の中で暮らして
いるのだから、行われていることが千差万別だったのは容易に想像がつく。中には、縁を
毎日5個作る、生産性の高い主婦もあった。その収入で家計を補填しなければ釜の蓋が毎
日開く保証のない家庭であれば、家の中が乱雑になっていても一定の時間を割かなければ
ならなかったことは想像に余りある。

チクパに住む老齢女性プルナさんは、7歳の時から竹編みを習って60年以上毎日それを
していた、と語っている。プルナは小学校へも行っていない。生涯で12人の子供を産ん
だが、だれひとりとして自分の竹編み技術を受け継ごうとする者はおらず、工業化の進展
に伴って進出して来たさまざまな工場で働く道を子供たちは選んだ。


タングランの竹編み帽子産業は長年かけて築いた華やかりし舞台から1960年代に転落
して行ったのである。ところが2011年ごろに、郷土の伝統手工芸品である竹編み帽の
リバイバルを図るひとびとのコミュニティがタングランに出現した。単に手編み作業の労
働力になることを目的にしていたのではなく、そのコミュニティはタングランに築かれた
伝統技能を復活させて製品を作り、それを消費者に販売して生産者と消費者を橋渡しする
役割を担うことを目的にしていたのだ。

自分たちが作り出す製品のトータルクオリティに強い関心を向け、素材になる竹を厳選し
て自分たちで植えることすら行った。かれら自身が竹編み帽の技能を持つ職人であり、高
品質の作品を手工芸品フェアなどに出品して広報に努めた。タングランのシンボルのひと
つである竹編み帽子は、目立たないとはいえ、地元民によってしっかりとリバイバルの道
を歩み始めたと言えるだろう。

タングランがいかにこのトゥドゥンクパラ産業を誇りにしているかということをわれわれ
はタングラン県のロゴマークに見ることができるのである。なにしろ、稲と綿に挟まれた
中央に帽子が鎮座しているのだ。[ 完 ]