「大郵便道路(54)」(2025年03月03日) 1880年にオープンしたサヴォイホマンホテルは何度か改築され、1939年にAFアー ルバースがデザインしたものが最後になった。今われわれが見ているのはアールバースの 作品である。AFアールバースは1930年代に今のアルジュナ通りのシャープビルと家畜 屠殺場建物を設計した。 オランダから東インド植民地に移住したアールバースは1930年にスカブミからバンド ゥンに移って建築事務所を友人と一緒に開業した。バンドゥンでの最初の仕事が今のブラ ガ通りとナリパン通りの角地にある西ジャワ銀行ビルだった。アールデコ調のこのビルは その当時デニスビルと呼ばれていた。 デニスとはオランダ語のDe Eerste Nederlandsch-Indische Spaarkas en Hypotheekbank (DENIS)の頭字語だ。1945年、バンドゥンに到着したAFNEI軍の中にいたオランダ人が この貯蓄融資銀行の屋上にオランダ国旗を掲げた。それを見たインドネシア青年層が上に よじ登って三色旗を二色旗に変えたという、スラバヤのホテルオラニエ事件とまるでそっ くりな逸話が語られている。 1931年から1942年までの間にかれがバンドゥンで行った仕事はたくさんある。既 述のランドマーク的な大きい建築物ばかりか、普通の住宅も多数にのぼった。パグルグヌ ン通りに並んでいる12軒の同型住宅、ハジハサン通りの14軒の同型住宅、スルタンア グン通りとジュアンダ通りの角地に立つ三色ヴィラ、ジュアンダ通りの三つ子ヴィラなど、 ユニークなデザインの建物が、やはり他の建築家がデザインしたその当時の時代を感じさ せる住宅と入り混じってバンドゥン市内に散在している。 ブリンクマンは大郵便道路沿いにシンガー社屋ビルを建て、今のサンクリアン通りにヴィ ラ ハンエンカンを建てた。シンガー社屋ビルは1992年に撤去されたが、ヴィラは今 も陸軍のオフィスに使われている。 1920年代に映画館ブームがバンドゥンに起こり、アールデコの特徴的な建築様式の映 画館が市内のあちこちに出現した。Oriental, Elita, Preanger Theater, Braga Sky等々 の植民地時代を彷彿とさせる建築物は、インドネシアで映画産業が斜陽になってから、す べてが姿を消して商店や飲食店に入れ替わった。ユニークなデザインの建物は取り壊され て、何の変哲もない建物に変わってしまっている。 オランダ時代末期にバンドゥンの都市建設が進められて、優美な建造物が市街を埋めた。 その姿が実現された影にはバンドゥンでしのぎを削った70人を超える建築家がいたので ある。バンドゥンが建築デザインのラボラトリーだと言われてきたゆえんがそこにある。 1970年ごろ、芸術性を持ちまた植民地時代の雰囲気を物語る、建築年数50年を超え る建物がバンドゥン市に2千5百あると推定されていた。ところが1990年代のヘリテ ージ関連諸団体のデータによれば、その数が495になっていた。建設当初のままの完ぺ きな状態で残っているのは206であり、半数を超える建物は傷みが建物を蝕んでいるま ま放置されているか、あるいは元の形を残さない姿に改造されている。[ 続く ]