「ブタウィの結婚(6)」(2025年03月17日) アカッニカが終わると男の側のグループは一旦家に帰り、翌日に新郎と男仲間たちが新婦 の家で開かれているペスタカウィンにやってくる。そしてその夜、やっと新郎は新婦の家 に泊まるのである。 ところが新婦は夫に対して知らん顔をしなければならない。夫に呼びかけたり話をしよう としてはいけないのだ。新婦の気持ちを自分に向けさせるようにするために、新郎は新婦 の部屋の机にかかっているテーブルクロスの下にお金を置かなければならない。 このuang penegorと呼ばれる慣習は、新婦が夫に対して自尊心を示す行為とされている。 tegorとはインドネシア語のtegurで、話をしようとして相手に言葉をかけることを意味し ている。ウアンプヌゴルというのは、人間が言葉をかけるのでなくて金に言葉をかけさせ ようということなのだろう。 これから結婚生活を開始するに当たって新郎が妻をどれほど大切なものと感じているのか、 それを表明するための機会が慣習の中に設けられているのだ。この結婚生活を大切なもの と考え、互いに生活を分かち合い助け合う相手になってくれる女性に対して感謝を表明す るのである。インドネシアでは、感謝は花や微笑みで語るものでなく、現金で語るものな のだ。 オランダ人が書いた植民地時代の小説の中にこんなストーリーがある。オランダ人青年が セフレになったジャワ人女性に愛情と感謝のしるしとして、野の花を摘んでプレゼントし た。すると女性は「わたしの値打ちはこんなものなのね。」と相手のその行為への不満を 表明した。 男が愛情と感謝のしるしだと言うと、もっと意味のあるものでそれを伝えなさいと女は言 う。つまり現金でそれをしろと言うのだ。「それは娼婦に対してすることじゃないか。わ れわれはそんな関係じゃない。」と男が言うと女は、「わたしはもちろん娼婦じゃない。」 と言う。娼婦じゃない女とセックスして金を渡すのは間違ったことなのかと尋ねる。 娼婦は金のためにどんな相手であろうとセックスするが、自分は気に入った相手でなけれ ばセックスしない。そのことと、愛情と感謝のしるしに金を渡すのはまったく関係のない 話だとジャワ女はオランダ男に教えた。 博愛主義者はインドネシアの乞食に金を渡さなければ博愛主義者の名にもとることになる。 インドネシアの金銭観は特異なのである。インドネシアで金銭はイージーカム・イージー ゴーなのだ。話を戻そう。 アカッニカのために新郎と男仲間たちの集団が新婦の家にやってくると、昔はたいていパ ランピントゥが演じられた。新婦の一家の側にもパランピントゥの掛け合いを演じる男た ちがやってきて新郎の到着を待ち構える。 新郎の一行が到着し、新郎が新婦の家に入ろうとすると、表にいた男が声をかける。 Eh, ente jangan nyelonong aje! しかし新郎はそれを無視して家の表戸を開こうとする。すると再び新婦の側の男が難詰す る。 Eit, brenti dulu! Maaf ni rombongan dari mane mau ke mane? Tumben amat, ade perlu ape? すると新郎の側のパントゥン名人が口を開く。 Naek delman ke pasar ikan Beli bandeng campurin teri Aye dateng beserta rombongan Ngantar tuan raje mude nemuin tuan putri 新郎はtuan raje mudeと呼ばれ、新婦はtuan putriと呼ばれる。[ 続く ]