「大郵便道路(64)」(2025年03月17日)

チャダスという、英語のrockに該当するインドネシア語はあまり読者におなじみでないか
もしれない。しかしインドネシア語を知っている音楽好きの読者の中には、rock musicと
いう英語がmusik cadasというインドネシア語になっていることをご存知の方もいらっし
ゃるだろう。

そんな翻訳をしたインドネシア人翻訳者は真面目にそれをしたのか、それとも面白半分で
したことなのか?そしてその翻訳がイ_ア語インターネットの中に定着したのである。と
いうことはつまりインドネシア人の社会生活の中に、たとえ全体でなくて一部であるとし
ても、定着したと言うこともできよう。


英語のrockという言葉は名詞の場合にbatuあるいはcadasに対応するとはいえ、動詞の場
合は意味がbergoyangやberguncang-guncangになる。英語でのrock and roll musicという
のはrocking and rollingという動詞が使われているのだから、石音楽や岩音楽という翻
訳は誤訳ということになる。

ところがmusik cadasを擁護する人間もたくさんいて、musik cadasはmusik kerasのこと
だという解説が出現し、「rock musicとは元々hard musicのことだった。ハードロックと
言うではないか。」という説に発展する始末。しかしロック音楽がすべてハードかと言う
と、なかなかそうも言いにくい。

それはともかくとして、音や声がkerasだとインドネシア語で表現された場合、それは音
量が強く大きいことを意味しており、ガムランやクロンチョンだって耳が痛くなるような
大音量で鳴らされたらmusiknya kerasと誰でも言うだろう、とサムスディン・ブルリアン
氏は皮肉っている。


rocking and rollingというのは揺れたり転がったりすることを意味していて、強い音楽
のビートが聞いている人間の身体を揺らしたり転がらせたりする特徴を指しているのであ
る。ということは、ダンドゥッ音楽にもまったく同じ意味が当てはまるではないか。ダン
ドゥッ音楽だってgoyang dan bergelindingという特徴を持っているのだ。その定義に従
ってダンドゥッ=ロックンロールということが言えるはずだが、ダンドゥッをインドネシ
アのロックンロールだと言う人間はひとりもいない。

ダンドゥッ女性歌手がしきりに唱えるAyo kita bergoyang-goyang!を英語で言わせたなら、
かの女はrock, rock, rockin'...と叫び続けるのではないだろうか。閑話休題


第一次世界大戦がはじまると、オランダ東インド植民地軍はスムダンに要塞を構築した。
スムダンの町を取り巻く山や丘の上に建てられた要塞や軍事施設はたいへん戦略的な場所
に位置していた。それらは共通して、スムダンの町が一望のもとに見渡せる位置に築かれ
ている。その事実はスムダンの郷土文化研究者の首を傾げさせた。スムダンを防衛する東
インド植民地軍の敵は外からやってくるのだろうか、それとも中にいる者が敵になること
を想定したのだろうか、と。

1882年から1919年までスムダンのブパティを務めたパゲラン アリア スリア・ア
ッマジャは東インド植民地軍に対して、町の防衛戦力の一翼を住民に担わせてほしいとい
う要請を提出した。つまりスムダンの住民に軍事訓練を施してくれと言うのである。

しかし東インド政庁がそれを拒否した。軍事力を付けさせてやったプリブミに反乱を起こ
されたら、損害どころか面目も丸つぶれだ。スムダンの要塞建設はそのできごとがあった
あとでなされたそうだから、要塞建設の動機が第一次世界大戦から来ているのかそれとも
そうでなかったのかは何とも言えないと考えるひとも出るだろう。

1915年に作られたそれらの軍事施設や基地はPasirlaja、Pasirkolocer、Darmagaの三
カ所に分散した。パシルコロチュル要塞は鉄筋コンクリート製のふたつの建造物から成っ
ていて、ひとつは3x2.5メートル、もうひとつは4x2.5メートルの大きさであり、
火薬庫として使われたと考えられている。

パシルラジャには見るからに頑丈な鉄筋コンクリート製の建物が三つあり、武器兵器庫な
らびに監視用の窓があるトーチカで構成されていた。その建物のひとつには18メートル
四方の部屋があって煙突状の換気パイプが備えられており、兵舎として使われたようだ。
ダルマガの要塞は小型のもので、パシルコロチュルと同じ機能になっていた。[ 続く ]