「チルボン鉄道路線網(終)」(2025年10月05日)

チルボン〜カディパテン路線には19の駅があり、チルボンから7駅目がクラグナンだ。
クラグナンからグヌンギウルに向かう支線が1922年に作られ、その年7月1日からそ
の5KM区間を列車が走るようになった。

チルマイ山腹のチカハランに天然の湧水があって、その水をチルボンまで送るパイプがグ
ヌンギウル支線の鉄路建設工事の中で設置され、22キロのパイプを通ってチルボン駅ま
で送水が行われるようになった。この送水パイプは今も使われている。

チカハランの水源には地中から湧き出してくる水を貯める20x13メートルの貯水池が
作られており、そこが送水パイプの出発点になっている。この湧水はいまだかつて涸れた
ことがないそうだ。チルボン駅まで送られたその水は蒸気機関車への給水が最大の用途に
なっていた。

大きい駅で蒸気機関車に供給される水は大きな量になる。それを地下水に頼ると地盤の低
下を招き、一帯の土地が沈降して行く。スマランのクミジェン鉄道基地で起こったような
地盤沈下を防ぐためにSCSが行ったそのアイデアは効果をもたらしたようだ。


そのカディパテンからスムダンを通ってバンドゥンまで延長させることをSSが構想した。
いやSSの立場からすればその反対で、バンドゥンからスムダン経由チルボンへという発想
になるだろう。SCSはSSに対してたいへん協力的だったから、SSもその計画立案にSCSを巻
き込んだかもしれない。SSはバンドゥンから周辺にある茶・コーヒー・キニーネなどの農
園地帯に向かう支線建設の計画を既に立てていた。

バンドゥン周辺地区でSSが行った支線建設は1920年代に開始され、ランチャエカッ〜
タンジュンサリ間10.8KMとチクダパトゥ〜ダユコロッ8KM区間、そしてダユコロット
〜バンジャラン〜ソレアン線を1921年に列車が走った。その中のランチャエカッ〜タ
ンジュンサリ線はジャテイナゴルの農園地帯を目標にした路線であり、運行開始は192
1年2月13日だった。

タンジュンサリから更にチタリへと線路が延ばされたものの、列車運行がまだ開始されな
いうちに世界的な不況によって経済活動がダウンし、そうこうしているうちに1942年
を迎えてしまったのである。

スムダン県チタリからスムダンの町までは20KMほどの距離だ。ランチャエカッ〜チタリ
区間14.5KMとチルボン〜カディパテン区間48.7KMが既に開通したのだから、あと
はチタリからスムダンの町を経てカディパテンまで43KMの距離に線路を敷けばよいとい
うことになる。それがつながれば、バンドゥンからチルボンへの最短交通路が誕生するの
である。しかしその構想が実現しないうちにオランダ王国は東インド植民地を手放すこと
になった。

1942年にインドネシアを占領した日本軍はランチャエカッ〜タンジュンサリ間の線路
を撤去して運び去った。チルボン〜カディパテン線はその被害を受けなかったものの、採
算の取れない路線として忘れ去られてしまった。バンドゥン〜チルボン線の夢ははかなく
消えてしまったのである。[ 完 ]