「インドネシア鉄道史(2)」(2025年10月12日)

オランダ本国とその手足としての東インド政庁が採った鉄道政策は東インド植民地で生産
される商業作物を船積み港に輸送する効率の向上を第一の目的にしていた。乗客の大量高
速輸送では決してなく輸出商品の大量高速輸送だったのである。現代のわれわれが勘違い
しがちなポイントだろう。

オランダ東インドに広がって行った鉄道網はその最終エポックで総延長6,811キロメ
ートルに達していたが、そのほとんどが輸出向け農産物を港に輸送する交通機関として形
成されたものだった。乗客運送や軍隊の輸送といった役割も当然そこに含まれたものの、
ほとんどの路線では鉄道乗客からの収益よりも貨物運送からあがる利益の方が圧倒的に大
きかった。

インドネシア鉄道史の皮切りとなったNISの設立者は中部ジャワで農園経営を行っていた
事業主たちであり、かれらによる鉄道史のスタートはインドネシアの鉄道が持たされた性
格を象徴的に物語るできごとだったと言えるのではあるまいか。


NISは広がる鉄道路線の運営を司る中枢機能をスマランに置いた。社業の発展にともなっ
て中枢機能は巨大化し、1907年に豪壮な本社建物がスマラン市中心部に建てられた。
今、スマラン市内中心部のプムダ通りにあってLawang Sewuというジャワ語で呼ばれてい
る歴史遺産の巨大な建物がNIS鉄道事業のヘッドクォータだった。一千のドアを意味する
ラワンセウはインドネシア共和国独立後にインドネシア国鉄の資産となり、現在は観光施
設として一般公開されている。

オランダ東インド最初の鉄道建設が1864年6月17日に開始され、スマラン市内クミ
ジェン村での起工式典でファン デ ベーレ総督が鍬入れを挙行した。その場所にスマラン
鉄道駅が建設されたのである。タングンまでの鉄道施設がすべて完成したあと、1867
年8月10日にインドネシアではじめて、汽車の商業運行が開始された。
NISはこの工事を四つのフェーズに分割していた。
1. スマラン〜クドゥンジャティ区間
2. クドゥンジャティ〜ソロ区間
3. ソロ〜ジョクジャ区間
4. クドゥンジャティ〜アンバラワ区間

スマラン〜タングン間の商業運行開始と同時にクドゥンジャティまでの第一フェーズ工事
が続行された。クドゥンジャティ駅の建設は1867年のうちになされている。オープニ
ングが1868年7月19日に行われたのは多分、列車運行開始日に合わせたためではあ
るまいか。

タングン駅から10キロほどの距離にあるクドゥンジャティ駅は最初タングンと同じよう
な二級の駅として建てられていたが、アンバラワ線開通のときに大型駅に改装された。一
方、スマラン市内でも、NISスマラン駅から港へ貨物を運ぶための路線がその翌日に開通
した。

第二フェーズは1870年2月10日に工事が完了し、その月18日にソロ〜スマラン区
間の盛大なオープニング式典の中で列車運行が開始された。NISが1870年にオープン
したソロバラパン駅は、マンクヌゴロ王宮の競馬場跡地が使われたためにバラパンという
言葉が添えられるようになった。SSがソロジュブルス駅を設けてからは、バラパンやジュ
ブルスという言葉を付けなければ意味が明瞭に伝わらなくなったはずだから、そのころか
ら固有名称になっていたように思われる。

ソロジュブルス駅のデザインは、SSが建てた他の大型駅にも共通する重厚なインディシュ
コロニアルスタイルになっている。ところがソロバラパン駅のデザインははるかに軽快で
モダンな雰囲気を漂わせている。それは現在の駅舎が1927年に改装されたものだった
からだ。[ 続く ]