「インドネシア鉄道史(1)」(2025年10月11日)

世界で鉄道の商業運行が初めて開始されたのは1825年で、イギリスのストックトンと
ダーリントン間16キロを蒸気機関車が貨車と客車を引いて20分で走った。続いて18
27年には米国やフランスでも鉄道事業が開始された。オランダに鉄道が導入されたのは
1839年だった。

アジアで最初の鉄道運行が始まったのはやはりイギリス領のインドだった。ボンベイとタ
ネ間34キロに鉄路が敷かれて1853年に列車が走った。日本では1872年に新橋と
横浜間29キロを1号機関車が数両の客車を引いて走った。

今のインドネシアであるオランダ東インドでの鉄道運行の事始めは1867年であり、ア
ジアで二番目に古く、日本はその後塵を拝したことになる。


インドネシアで最初の鉄道路線は中部ジャワ州スマランとグロボガン県タングン間25キ
ロ(26キロと書いている解説もある)を結んで建設された。工事が開始されたのは18
64年6月17日。スマラン市内クミジェン村にスマラン駅がターミナル駅として建てら
れた後、市内トゥロゴムリヨにアラストゥア駅、次いでドゥマッ県クンバンアルムにブル
ンブン駅、そしてグロボガン県タングンハルジョ村にタングン駅が建設された。その区間
の工事がすべて完了してから、オランダ東インドで最初の商業運行が始まった。1867
年8月10日にスマラン駅で汽笛一声が鳴り響いたのである。このスマラン駅は50年経
たないうちに使われなくなった。

列車は人間と貨物を運んだ。乗車料金は一等客車ひとり3フルデン、2等1.5フルデン、
3等0.45フルデン。人間だけでなく生きた家畜や農産物、荷車から馬車まで列車に積
み込まれたそうだ。運行は一日一往復で、スマラン発午前7時、タングン着午前8時。戻
り便はタングン発16時、スマラン着17時だった。

この鉄道事業は民間資本のオランダ東インド鉄道会社Nederlandsch-Indische Spoorweg 
Maatschappij (略称NISあるいはNISM)の設立者たちが政庁からコンセッションを得て開始
したものだ。スマラン〜ヨグヤカルタ間に鉄道を敷設するアイデアは1842年に既に出
されていたという話がイ_ア語ネット内に見られる一方、東インド植民地に鉄道を敷くべ
しという意見がオランダ本国で1840年に出され、喧々諤々の論戦になったために鉄道
敷設を認める王国決定書が1842年に出されて論戦が幕を閉じた話もある。決定書には、
スマラン〜クドゥ間およびスマラン〜フォルステンランデン(Vorstenlanden=王国領)間
に鉄道を敷くことが記されていた。もっと凄いのは、後にNISを設立する農園事業主たち
が1842年に鉄道敷設を政庁に働きかけていたという話まで飛び出してわれわれは呆気
にとられるのである。


後にNIS設立者になる農園事業主たちの出したコンセッション申請を採り上げたルドルフ
・ファン デ ベーレ第54代総督が1862年に認可を与え、インドネシアの鉄道史が民
営で開始された。そのコンセッションに基づいてかれらは1863年にNISという会社を
設立し、オランダのデンハーグで会社登記を行った。

その後1875年4月に国有鉄道会社のStaatsspoorwegen(略称SS)が設立されたものの、
オランダ東インドの鉄道事業は1942年まで民営原則が維持された。続々と鉄道事業に
参入して来た17の民間資本鉄道会社にとってSSはコンペティタ−という位置付けになっ
たとはいえ、かれらは概してSSに協力的であり、オランダ王国の繁栄のために力を合わせ、
そして東インドでの会社事業で大いに稼いだようだ。政庁が鉄道政策の意志を現場に降ろ
す際のパワフルな手駒としてSSを使う機会もたくさん起こっている。

NISがその生涯で運行させた鉄道路線はおおむね商業的にゴールデン路線になっていたよ
うだが、負債が膨れ上がって政庁が資金援助を行った話も語られている。NISの主要路線
はスマラン〜ソロ〜ジョクジャ線、バタヴィア〜バイテンゾルフ線、クドゥンジャティ〜
アンバラワ線、グンディ〜スラバヤ線などだった。[ 続く ]