「標準イ_ア語はKBBIで(終)」(2025年10月19日) ライター: イ_ア語シソーラス「テサモコ」編纂者、エコ・エンダルモコ ソース: 2017年11月11日付けコンパス紙 "Polisi Kitab" 言語警察の持っている顕著な特徴のひとつが、語彙の表記方法を問題にすることだ。かれ らは自分が標準と考えているものに対する一種の勤勉さを過剰に持っている。ある語彙の 形式が標準であるかどうかというかれらの知識、それが嵩じて信念と化したもの、は往々 にしてKBBIという聖典が根拠にされる。 しばしば忘れられている現象として、その聖典を開いたがためにときおり容易と言えない 選択に直面するという事実がある。reakとriakのどちらをあなたは選択するだろうか?そ の両方がKBBIの中に記されているのである。 reak n lendir yang keluar dari kerongkongan atau dari saluran pernapasan riak2 n lendir yang keluar dari tenggorok pada saat terserang batuk; dahak 同様に、peraiとpreiのどちらをあなたは選択するだろうか?言語警察の聖典になってい る書物の中にわれわれはその両方を見出すのである。 perai2 v cak 1 tidak masuk bekerja, sekolah, dan sebagainya; libur: pada hari besar nasional karyawan --; 2 tidak usah membayar; gratis: makan dan tempat tinggal -- prei n cak libur, bebas, tidak melakukan sesuatu どちらを標準とも決めないで単一の語彙にふたつの表記法を同時に示しているKBBIの 二重性は多くのイ_ア語話者の信頼を揺るがすだけでなく、明瞭な真理を示しているとわ れわれはその現象を見なすこともできる。言語が持っている任意性はたいていの場合にお いて正誤の問題から無縁であって、その本質は一種のフリーチョイスなのである。 そんな場面において言語警察は強制権を、法規(つまり言語上の決まり)の名においてす ら持っていない。本当にそうだろうか?その通りだ。なぜなら、言語における法規は強制 権を有し違反者に罰を与える実定法ではないのだから。 われわれは実定法の中にリーガルフィクションという原理が用いられていることを知って いる。すべての人間が法律を知っており、また理解しているという前提が使われているの だ。同時に、「法律を知らないということは許容されない」という原理も存在している。 任意性を持ち、その言語使用者の間でなされた共同合意にもとづいて構築されたものが言 語なのだ、ということを忘れてはならない。それがゆえに、言語が持つ法規はエチケット により近いものになり、正誤ではなくてコンプライアンスの方に深く関わることになるの である。 だからこそ、「言語は民族を表す」ということわざの由来するポイントがそこなのだとわ たしは考えている。ある文章を読めば、それを書いた者が社会のどの階層出身者かという ことが推測できる。言葉がめちゃくちゃということのためにその筆者が監獄に入れられる ようなことは起こらず、せいぜいその筆者の文は劣悪だという社会制裁が与えられる程度 だ。劣悪だということと正誤とは関係がない。